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AIR-CAMERA エア・カメラ 九州 ホームページ開設


 

この度、マルチコプター空撮・映像制作の「エア・カメラ」が

九州に支部を開設しました!

 

福岡・熊本・大分・長崎・宮崎・鹿児島と

九州近県の撮影をカバーします。 

 

それに合わせて九州版のホームページも開設しました。

こちらがURLです!

 

http://aircamera.webcrow.jp/ 


 

ブログ右のロゴマークからもリンクがはってあります。

そのまんまのロゴデザインですが。。(笑) 

 

 九州には雄大なローケーションがたくさんあり

マルチコプター空撮やMoviによる撮影をするには

最高のシュチエーションです。
 
 
 
お仕事のご依頼、お待ちしております! 
 
 
  
 
 

2014

 

 

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あけましておめでとうございます。

 

みなさま

明けましておめでとう

ございます。

 

去年を漢字一文字で表すと

「変」

 

今年の自分にとっての一文字は

「翔」

 

今年も新たな地平を目指して

進んでいきたいと思っております。

 

 

みなさまにとっての一文字はなんでしょうか?

 

今年もよろしくお願い致します!

 

 

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AIR-CAMERA (エア・カメラ)の雑記帳

 

マルチコプター空撮「AIR-CAMERA (エア・カメラ)」のブログを

はじめました。

 


AIR-CAMERA (エア・カメラ)の雑記帳

 

http://air-camera.blog.so-net.ne.jp/

 

 

お仕事の事や機材や映像についての事を書いております。

お暇な時に見てやってください。

 

 


AIR-CAMERA ホームページ [その他]



ずいぶん以前に作ってはいたのですが
サーバーに上げるだけで塩漬け状態だったホームページを
リニューアルしてアップし直しました。

マルチコプター空撮のお仕事用の名義
「AIR-CAMERA (エア・カメラ)」のサイトです。

このブログの右下にあるプロペラのデザインが
ロゴマークなのです。

これから映像作品もどんどんアップしていく予定ですので
どうぞ見てやってくださいまし。。


「AIR-CAMERA(エア・カメラ)」ホームページ


日常のシャーマニズム [エッセイ]



「変性意識」という言葉をご存知だろうか。

かなり乱暴に意訳するなら「ハイ」である。
微妙に意味が違ってしまうが「非日常感覚」と
言ってもイイのだろうか?

とにかく「トリップ」だの「ゾーン」だの
「いっちゃってる。。」だの、である。
普段と違う意識、感覚で世界を捉え直す
そんな状態のこと、なのである。

20代の前半にアジアを1年半放浪して
日本に帰国して暫くしてから
数年ほど離れてしまっていた合気道の道場に
再び通い直そうかと考えていた時
何かの縁で巡り合った先生が、少し
いや、かなり変わった先生だった。

とにかく修練は朝でないと意味がない!
との持論から、毎朝5時くらいからマンションの
一室の道場で学生やら仕事前の社会人相手に
真冬でも窓を全開にして、ホワイトボードを前に
平気で1〜2時間、講義を繰り広げるのである。
それはもう、寒いわ、眠いわ、足が痺れるわ、で
まあ、この環境だけでもチョットした極限状態なのだが。。

その講義内容もかなりディープで多岐にわたっていた。

「解剖学」の視点から人体をとらえ
いかに「内臓力」がその人間のパワーや感性
そして無意識に影響を与えるかを説き
素食と健康の重要性で締めくくり
技の稽古は一切無し。。

あるときは物理学や量子力学とエネルギー論を
さんざん語った挙句、「これらを知らないで
どったんばったん武道をやってるのは、自分の
使う力の根源を知らないまま暴れてるだけだ。
本を読みましょう!知識と経験の層が深ければ深いほど
そこから出て来る言葉やパフォーマンスは多元的になる!」
で、その日の稽古が終わることも度々であった。

武道は強くなる為のものじゃない。
元よりあった元気な状態、健やかな状態を
少しでも取り戻し保つ為のもの。
言うなれば「リハビリテーション」だ!
と、きたもんである。。
護身術やら強さやらを求めて道場に入会した人は
エラいところに来てしまったと思ったに違いない。

ただ先生が説く「自然界のエネルギーは朝がピーク。
後は夜に向けてドンドン落ちて行く。夜の業は迷いに
落ちやすく、朝は悟り安し。」はともかくとして
実際、早朝稽古はかなり気持ちが良いものだった。

真冬の朝に眠い中、起きて
寒い布団の外に飛び出し
道場までの距離を白い息を漏らしながら移動し
何度も帰ろうか?の思いを越え
寒さで鳥肌たつ素肌に道着を着て
部屋の入り口で座り、礼をした時点で
もう既に脳内物質が出てるのが判るのである。
トリップのための「セット」と「セッティング」が
バッチリ整っちゃっているのである。
もう気持ち良くならない訳がない。

そんな先生の講義の中で度々出でくる言葉が
「変性意識」だったのである。

曰く、日常の延長としての感覚やら
固着した考え方、世界への固定概念を
一度外れてみた時に感じるモノこそが
再び戻る日常に、持ち帰る価値のある視点を
与えてくれる。。

確かに世界の各地に残る、イニシエーションの文化
祭りや神事や音楽が内包する「ハレ」と「ケ」のシステム。
アートもその役割を担っているはずだ。

トリップして、出会い、何かを持ち帰る。

本来、社会の中には人々の意識を健やかな状態に
保つ為のリハビリテーションシステムの様なものが
存在したはずなのだ。

現代においてそれは減少している気もする。


でも、意識がそれを求める限り
そこには新たな形をとってでも
人々は「ハイ」を得ようとするハズなのである。

積み上げた思いやら、期待、高揚感が作り出す
爆発寸前の意識エネルギーの蓄積。「セット」

非日常感覚をいざなう環境。
それは出来れば自然のエネルギーが強いフィールドがベスト。
しかし、セットを持つ複数の人間が集まることでも生まれる
エネルギーの場。「セッティング」

そこで、意識の変容を導くキーパーソン。
「現代のシャーマン」は意外とそこかしこに
いたりするもんである。求めていれば。。



それでは、皆さま、、、良い旅を!





「個別の死」と「消えない泡」




猫が死んだ。


と、言っても去年の9月だからもう半年も前だ。

名前はチャタ。


東京の雑司ヶ谷は「鬼子母神」で拾った。
首輪をつけていたから、たぶん迷いネコか、それとも捨てられたか。

医者に診せたら「猫エイズです。発症しておりますので、保って2〜3ヶ月でしょう。」
と、言われた。
看取るつもりで連れて帰り「なるべく明るく陽気な語感にするか」で
「チャタ」と名付けた。

それから、僕ら家族が都心から西東京へ引越して2年。
西東京から長野に引越し1年。
あわせて3年も生きた。

最初の1年は毎月、射ち続けるステロイド注射による効果で
不治の病には見えない元気さも見せていたが
2年目以降、ステロイドも効かなくなり始めてからは
血と膿みの混じる、唾液と鼻水を垂らし続け
さすがにケージの中で飼う以外なかった。

そんな有様でも生きる意思は猫一倍強く
猫エイズの症状である口内のただれによる激痛で悲鳴をあげながらも
一日3食以上食べ続けた。

それでも痩せた身体は戻ることはなかったが。



だから夏の終わりに身体を横たえたまま起きれなくなったのを見て
「もしかしたら」とはさすがに思うことはなかった。

5歳の長男と、同伴で出かけなくてはいけない嫁に
別れの挨拶をさせた。

ケージから出してタオルの上に寝かせ
近くに座り込み、時折思い出したように鳴いて呼ぶ声に
身体を撫でることで応えてやっていた。

虚ろに開かれた目はもう見えなくなっているのだろう。
こちらを向くことがなくなった。

視界の霞に飲み込まれ、不安なのは当然だろう。
何度も鳴く。

呼ぶ声に応えて頭を撫でるが、鳴き止まない。
不思議なもので撫でている手に返ってくる感触で
相手の皮膚感覚の有無が感じられるものなのだ。
反応し合い、交感する感覚が触るということなのかもしれない。
まるで剥製のような感触の頭から手を離し
肩から背中を触ってやると、安心したようにピタリと鳴き止んだ。

徐々に身体から回線が切断されていく。
なにかが切り離されていくように。

身体のどこを触っても鳴き止まなくなったとき
最後に残るのはやはり聴覚のようだ。
耳元で名前を呼ぶと、安心したようにしばらく黙る。


そして呼吸が徐々に小刻みになり始める。

おーい。いるよ。と何度も耳元で呼び続ける。
鳴くことも無くなり、ひたすら浅い呼吸を繰り返していた。


突然、横たわったまま頭を大きく起こした。
身体に力が戻ったのか、と勘違いしたそれは
最期の一呼吸だった。

「息を引き取る」の言葉の通り、大きく吸い込み
頭を起こしたままの姿勢で口をあけて静止した。
その瞬間、虚ろではあったが透明だった目が、すーっと白く濁っていく。
吸い足りないかのように、小さく「カッ、カッ」と息をつまらせ
ゆっくり頭を横たわらせていく。

さいごの切り離しがおわったのだ。

しばらくしてお腹が波打った。
やはり、内蔵は肉体の中でもとりわけ別の理で存在しているのだ。
心臓が止まり、血流が停止して、脳の命令が途絶えても
まだそれは有機的システムとして生きている。
緩やかではあるが腐敗という状態へと移行しはじめた
肉体という物質の中にあっても。

現在進行形で進んでいく、チャタであったモノの変様。
それを見ていたら、あることに思い至った。

ぼくは「死」を見たことがなかった。
そして、「未知なる死」を恐れていたのだ。ということに。



子供の頃、話し相手を求めて毎日のように
祖母を訊ねてきた、近所の一人暮らしのおばあちゃん。
時折僕に500円札を握らしてくれた。
ある日、祖母に連れられ近くのアパートの部屋に入ると
こじんまりとした祭壇の中央で
おばあちゃんはモノクロの写真になっていた。


高校生時代、通っていた街道場で僕に多大な影響を与えてくれ
休日に2人で出稽古にまわり、深夜まで語り明かした先輩。
ある日電話で、事故で亡くなったことを知らされた。


同居していた祖父母は、両親が共働きだった我が家で
僕ら兄弟の保育園の送り迎えから、休日の行楽地巡り
炊事洗濯と面倒をみてくれた。
そして母はシャンソンと古いハリウッド映画が好きな陽気な人で
日曜洋画劇場で号泣し、朗々とケセラセラを歌いながら料理する人だった。
二十歳を過ぎたある年、一日違いで三人とも亡くなった。
いずれも病室に駆けつけた時には、すでに息を引き取っていた。


実家で20年生きた猫。雪の降りしきるある日に
前日と同じ格好でソファーに横たわっていた。

インドのバラナシで見た何十体と燃やされる火葬場の死体達。

新宿の駅構内で行き倒れたホームレス。

多くの「死」に立ち会い
多くの「死」を目撃し
「死」に慣れていった。
つもりでいた。

けれど、一度も死に際を看取ったことは無かったのだ。

死体をみて、真っ白な骨を見て、これが「死」なのだと言い聞かせる度に
茫漠とした「死」のイメージは自分の中で
モヤモヤとした暗いシルエットとして、いつも僕の影に息をひそめて
日々の生活の中で、不安や焦りや、諦めにしみ込んでいたようだ。


ぼくは「死」が恐かったのだ。


そんな当たり前のことに思い至ったとき
もう一つのことにも気がついた。

「死」が単独で存在するわけではなく
それは「誰か」の「死」なのだということに。

「チャタの死」 「先輩の死」 「母の死」

みんなそれぞれ個別の死。
一つとして同じものの無い、それぞれに個性的な
その者の人生の最期であり、そして一部。

僕にとっても彼らの「死」は掛け替えの無いもの。 
自分の人生を彩る、出会いと別れの分ちがたい記憶。

そしていずれ迎える、自分自身の「死」。「石川カツトシの死」。
当たり前のように、それは未知で
当然のように、いつか訪れる
必然の経験。


初めて看取った「チャタの死」。
だからといって恐れはなくならなかった。

けれども、漠然とした「死」は消えて
かわりに「死」が個人的なものに替わった。


「死」に慣れることなんかない。
それが自分にとって掛け替えのない「個別の死」なら。


でも、今までの経験で学んだことが一つある。
自分の中に生まれた「感情」や「想い」は絶対に消えない。ということ。


母の死から13年経ったある夜、ベットで横になりながらある小説を読んでいた。
夜もふけ深夜にさしかかった頃、小説の最後の一節を読んだ瞬間
腹からなにかが突き上げてくると思った時には
嗚咽が止まらなくなり、大声で泣きじゃくっていた。
なぜ、泣いてるのか本人にも判らぬままでいたのだが
急にその感情に名前がついた。

「僕は母の死が悲しかったのだ。」

13年前、我慢して押さえ込んだ、そんな感情は
消えも減りもせず、自分の中にあった。
あの時、本当は、ただただ、悲しみたかったのだ。

けれどもその時にはまだ、その感情に向き合うことが出来ないこともある。
時間という準備が必要なときもあるのかもしれない。
それでも、思いや感情は生まれた瞬間
認知されるまで、想いをとげられるまで消えることはない、そんなことを思い知らされた。
まるで、深い海中で生まれた泡が水面という表層で弾けるまで、漂い続けるように。

もしかしたら長い時間の中で他の泡と混ざり合うこともあるかもしれない。
それでも、はじめにあったその感情が、ずっと変わらずに存在していたことに
泣きながら驚いていた。


深夜の号泣にさすがの嫁も目を覚まし、びっくりした顔で問うてきたが
答えずに泣き続けていると、何かを感じ取ったのか、ただ眠いだけなのか
それ以上何も訊かずに僕の頭に手をのせ、暫くすると寝息をたてはじめた。

ひとしきり泣いたその日から、今まで夢に現れることの無かった母が
夢に出てきて語りかけるようになった。



はじめての「死」
チャタの「死」


(近所に聞こえたら何事かとチャイムを鳴らされないかな?)
(嫁と子供が帰ってきたらどうしよう。)
(いい歳の大人が恥ずかしいな。)

と、少し離れたところから見下ろしている別の自分を感じながら
それでも溢れ出てくるいくつもの泡に蓋すること無く
硬くなっていく猫を撫でながら

大声で泣き続けた。





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春遠からじ



昨年の冬に引越してきた
北アルプスの見えるこの街に住みはじめて
二回目の冬。


去年の冬、その寒さに「えらいとこに来てしまった」と思っていた。
そんな、この街の冬は夜に氷点下十数度になることもある。

夜中に急に目が覚めて、その理由が布団から出ている顔が寒さで痛むせいと知り
ビックリするとともに、東京育ちの自分には新鮮な感覚でもあった。

さすがに二年目ともなると少しは慣れて(防寒対策も万全になってきて)
今年は余裕さえ感じている。ような気がする。。


そんな冬の最中、最近購入した撮影用RCヘリ「マルチコプター」の
テストフライトをしようと待ちわびていたのだが
今年は地元民も驚くほどのドカ雪と、とてつもない強風で
仕事で東京へ行き来している合間になかなか飛ばせない日々が続いていた。

で、やっと先々日にずいぶん暖かく晴れ渡った日をねらって
6フライトほど飛ばすことが出来た。
カメラを積むジンバルと言う部分は
ちょっとデリケートな部分なのでテストフライトでは取り外して
代わりに六条麦茶のペットボトル(2リットルお徳用)を積んで飛ばした。
穏やかといっても北アルプスからの吹き下ろしの風がたまに吹く中
とても安定してホバリングしていた。

帰ってから、冷えきった身体をコタツと
古くて、強力で、やたら灯油を喰うストーブで暖めながら
機体の調整をする。(コタツの上で。。)

外は夜の到来とともに冷え込みつつある。
それでも、少しずつ空気が変わっていくのを感じる。

「冬来たりなば春遠からじ」

この土地の春は寒さの分だけ
喜びに満ちている。



(僕ら家族が住むまで三十数年間、誰も住むことなく放置されていたこの家も一年の営みでずいぶん
 息を吹き返してきた気がする。ハイテク機材と昭和な建具のコントラストがいい味だしてるなと。。)



写真1.jpg

また、買っちゃった。。



3年前にyoutubeで映像を目にしてからその可能性に魅せられて
寝ても覚めても映像を検索し続けた撮影用ラジコンヘリ「マルチコプター」。
従来のヘリと違い、複数のプロペラを持ち抜群の安定感で飛行出来る上
GPSによる位置情報をもとにコントローラーから手を離しても
自立飛行できるすぐれモノ。
さらにカメラからの画像をモニターで見ながらアングルを決められる。
カメラと名のつくものを使う者としては、様々な画角を妄想せずにはいられない。
アイレベルからはるか上空までのアングルがおもいのままなのだ。。

パソコン片手に嫁さんにプレゼンを行うと、意外なほどその可能性に共感。
2年前にDroidworx社製の8枚羽を購入した。(新車の乗用車くらいの値段でした。。)

何度となくフライト練習を繰り返し、故障は独学で構造を調べ
直しては飛ばし、直しては飛ばし。。
何事もそうなのだが、やってみないと判らない。
実践のなかで色々なことが判ってくる。
そのただ中にいる時は、もどかしさや、失望や後悔にとらわれることもあるが
やはりこの世界に身体を持って産まれてきたモノとしての一番の醍醐味は
トライ&エラーの繰り返しを経て、イメージの世界から物質の世界へと
なにかを具現化していく瞬間なのかもしれないと思う。

しかし、この一機目がやればやるほど、なかなか安定して撮影が出来ない。
GPSも不安定。カメラの防振装置も揺れを抑えられない。。
新たな機体を購入する可能性をパソコン片手に再び嫁さんにプレゼン。。

仕事の合間にネットでの検索につぐ検索。。

基本的にこのヘリは世界中のベンチャー企業や個人のエンジニアが
それぞれ独自に開発、製造したパーツが無数に存在していて
完成品を気軽に買えるって代物じゃないのだ。(小さいホビー用なら完成品で買えるけど。)
いかに組み合わせて、それを安定して飛行出来るように調整するか。
自分でそれをやろうとすると、大変な泥沼にはまり始める。
半田ゴテをもってコードの結線とかをしてると、撮影のために始めたのに
カメラよりハンダ付けしてる方が長い時間を費やしている事に気づき愕然とする。。

日本は海外に比べるとこの業界はまだまだ認知度も低いので
国内での購入はあきらめかけていた去年のこと、飛び抜けて完成度の高い
マルチコプター販売を手がける会社のホームページを発見。
いてもたってもいられず、連絡をとりその会社の社長さんと会った。
エンジニア出身の方で起業されたとのこと。
独自に改良や検証をされて組み上げているというマルチコプターの話を聞き
もう購入のことに頭をめぐらせていた。(帰ってから嫁さんにいかにプレゼンするかも。。)

お互いマルチコプターの可能性に魅せられた者同士、話せる相手に出会ったが最後
話したい事がありすぎて、やめられないとまらない。

新宿のルノアールで熱く語り合うこと数時間。。。

それ以降たびたび会っては色々な情報や知識をご教授していただき
遂に今年始めに購入させて頂きました。


CINESTAR 8 (3-Axis Camera Gimbal)


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ちなみにこちらがマルチコプター販売の会社のホームページです。
ご興味のある方はぜひ。

イデオモータロボティクス


こちらの会社のデモリールも撮らせて頂きました。
その映像がこちら。

https://vimeo.com/54644928



この機体の素晴らしいところは、フレームのほぼ全てのパーツが入れ替え自由で
様々な撮影機材に対応してセッティング出来るところ。
それにカメラを積むジンバルという部分が機体とは独立してコントロール出来る。
(カメラの画像をモニターで見ながら360度回転、真俯瞰等のアングル調整が出来る)


若い時バイク便でバイトしていた時、車体のメンテナンスで足りないパーツがあり
他のバイクのパーツはあるのに、と困っていると。。

「バイクなんて大きなプラモデルみたいなもんなんだから。どんな部品だってくっつきゃ走るよ!」

既製品を買うだけで修理はプロしか出来ないと思っていた
当時の若かりし自分には衝撃的な言葉でした。
今思うとDIYな(Do it yourself) 人生はあそこから始まったのかもな。。。と
このマルチコプターを眺めていたら、追憶にひたって遠い目をしてしまいました。。

そんなわけで、本格的に仕事に投入しますので、写真、映像でご依頼がございましたら
ご連絡ください。。

e-mail muzuho@bf7.so-net.ne.jp  (石川 カツトシ)



では、また。



空撮




ひーさしぶりの更新です。

空撮用ラジコンヘリです。
マルチコプターといいます。

去年から訓練をかさねて
最近、自由自在に操縦出来るようになりました。
コンピューター制御でGPSを搭載しており
スイッチを入れると手放しで同じ場所に止まってくれます。

写真だと判りずらいですが眼鏡に取り付ける
片目タイプのプロジェクターで(ドラゴンボールのスカウターそっくり!)
カメラの映像を確認しながら撮影出来ます。

カメラからの映像を見てラジコンを操縦するのを「FPV」と呼ぶのですが
海外では盛んなジャンルみたいです。

空の視点から操縦する自分を見る。まるで幽体離脱の感覚です。
(実はそれがしたくて始めたのです。。)


テスト撮影の映像でPVを作ってみました。見てみてください。


http://youtu.be/ac-zT2yiS_g



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PANAMA BOOKS vol.01




今年さっそくの告知ですたい。


原宿 Annon Cookというカフェで展示会に参加します。
ま、展示会、、というよりは

美味しい食事をしながらお茶飲んで
ふと見ると様々な手作り本が展示されていたりして
コーシー片手にちょいと手に取ってみたりなんかして

「あら素敵じゃない?」

なんて気に入って店員さんに

「これ展示物よね、、、。」

なんて聞いてみたら

「はい。でも全てそれぞれの作家さんが値段をつけて販売してるんですよ。」

「え?でも、こんな値段で?」

「みなさん自由に決めておりますので安いものから冗談のような値段まで。」

「おもしろいわね。じゃ、これいただくわ!」


なんて、、、最後はシロガネーゼみたいな口調になっちゃた。てへ。


このデジタル時代に

アナログな印刷やら

自費出版のブームも横目で見つつ

本という名の作品を

様々なジャンルの人々が

展示販売する!

そんな感じの展示会らしいです。

お茶飲みがてらに寄って頂いて

さまざまな世界観お楽しみください。


では

告知という名の

ブログでした!




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Annon Cook

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5−25−1 2F
TEL 03-5467-1600
HP http://www.ambidex.co.jp/annoncook/


PanamaBooks
http://www.panamabooks.jp






Ga-show!




新しい年

開幕しました!


今年も皆さま

良い年にしましょう。




年々、一年が早く感じられる気がします。

昔読んだ本に


「一歳の赤ちゃんの一年間は自分の人生と等価

 百歳の老人の一年は自分の過去の100分の1」

 

それだけじゃないと思いますが、、、。

その説にならうのなら

時間感覚は右肩上がりで加速するのでしょう。

進むに連れて加速するジェットコースター。

終着点はみんな一緒。



「やりたいことを、すぐにやる!」


今年の抱負です。



今年もよろしくお願いします!


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The Dog Show








Thanks for Ryo and Kiyomi

Book「The Dog Show」by Domenica More Gordon http://www.arts-science.com/

Domenica More Gordon http://www.domenicamoregordon.com/

いきている




東京の西の町に引っ越して、はや二回目の年末を迎えようとしている。


毎日、毎日、慌ただしく過ぎていく日々。

そのむかし、お婆さんがひとりで暮らしていたという
この平屋建ての一軒家は
日本家屋をちょっとだけリフォームしたような造りで
なかなかの広さの庭と縁側がある。
昭和30年代に建てられたというこの家は
柱や梁がいたるところ縦割れをおこしており
川の字で寝床につき、天井を眺めながら
地震があったら瓦屋根の下敷きになるのか、、、と
木の節目を見つめながら不安がよぎるのだが
子供一匹とネコ2匹が巻き起こす、ドタバタ劇に翻弄されながら
なんとか一日を乗り切った僅かな充実感と疲労が
様々な不安やら予測やらを飲み込み
眠りの彼岸へと押し流してくれる。


でも、まあ、
今日はなんとかなった、、、。


この家に引っ越すきっかけになった、拾いネコは
身体にウイルスを宿している。
治ることは100パーセント無い。と獣医が断言するそれは
免疫を低下させ、口の中などの粘膜を炎症させて
痛みで食べられなくなったりさせ
宿主を徐々に弱らせて死に至る、と。
ウイルスとやらは自己保存のために、もうすこし上手いこと出来ないものなのだろうか?

優しい表情で獣医が訊ねる。
「痛いけど我慢してもらいながら少し長く生きるのと
ステロイドで痛みを和らげる代わりに身体に副作用がでるのと
、、、どちらを選びます?」

はあ、、、それ僕が選ぶんですよね?
絶望的な「二者択一」だ。
そんな選択肢しかないのだろうか?

じゃあ、痛いのは辛いと思うので
ほどほどにステロイドでお願いします。

「判りました。ほどほどですね。まあ、バランスを見つつ。
ただ、これもだんだん効かなくなってきますよ。
いつか破綻がきますので、、、。」

、、、破綻。なにか「自己破産」みたいな響き。
CMの言葉が蘇る。「バランスが大事よね。お金も。計画的にね!」

だけれども獣医がやんわりと暗喩するそれは、最初から判っているコト。


でも、当のネコは
痛がりながらも、一日平均3〜4食缶詰をたいらげ
僕の布団に鼻水をこすりつけ、ヨダレをまき散らしながらここにいる。(僕の布団に、、、。)

なにか吐いてるなと覗き込むと(またしても僕の布団に、、、。)
ゴムの紐の様なものが。
しかし、よく見るとソレは動いている。
慌てて嫁を呼び、叫び声とテッシュが舞い飛ぶ。

庭を全力疾走して部屋に飛び込み
またしても僕の布団に
泥の足跡を残す。

夜、僕の布団に潜り込み
中で大きなクシャミとともに(僕の布団に鼻水を吹き飛ばし、、、。)
イビキをかきながら眠りにつく。


でも、まあ、
とりあえず、なんとかなっている。




家のとなりが町医者の入り口で
最近、小さな子供を連れた親達で
長蛇の列ができている。

毎日朝方から夜の10時くらいまで
子供達の断末魔の様な叫びと泣き声が聞こえてくる。

なんだろう、事件か事故でも?

「違うよ。新型インフルエンザの予防接種だよ。
ここの小児科は大人気みたい。」と嫁が教えてくれる。

そうなのか、、、、ん?
ウチはしなくていいのか?

「んー。なんだか得体の知れないモノを身体に入れるのに
抵抗があるのよね。外国で作られたワクチンだかなんだかよく判らないモノより
私が免疫力の上がるご飯を作るから、、、とりあえず、しない方向で。」


そうか、、、。
ふと振り返るとウチの息子が
咳と鼻水を垂らしながら
口を半開きでテレビの前で踊っている。


しかし、これでいざ感染したら後悔と懺悔の言葉を繰り返すのだろう。
でも、、、まあ、、、なんとかなっている。




不治の病とか未知の病原体とか
ガンとか成人病とか

経済不安とか株の暴落とか
借金とかローンとか
地震とか津波とかマヤ暦の終末とか
戦争とか紛争とか

未来の死におびえて
不安にせき立てられて
見えなくなって忘れてしまうのだけど、、、。


とりあえず、なんとか


いま「いきている。」


鼻水とオナラとウンコをまき散らしながら
食欲と性欲と自己顕示欲と
やさしい言葉や汚い言葉を吐きながら


いまこの瞬間「いきている。」


いま。ここで。



今夜も川の字で
柱のひび割れをチラリと見やり
今日も一日、なんとかなったことに感謝して

眠りの彼岸へと、、、、、。









ポン・ジュース




ポン・ジュースは美味しい。


昔から愛飲しているドリンク。
オレンジジュースは数あれど、あれほどの酸味と甘みのバランスが
良いものは他に無い。
昔のポン・ジュースは濃厚なとろみがありすぎて
ノドごしの悪さがいなめない感もあったのだが
そこは、技術の進歩とメーカーのたゆまぬ努力のおかげで
現在の絶妙なテイストに行き着いたと言っても差しつかえないと言っても過言ではないと言っても間違えない。

連日の暑さに耐えかねて、販売機で見かけるたびに買い求め
飲んでいるのだが。

先日のことホームにて電車を待っている時に
少し離れた販売機にポン・ジュースをみつけた。
構内アナウンスが電車の到来を告げる。

『いけるか?』『どうなんだ?』『落ち着け!』『Suicaもってるじゃない!』

電車の進入と反対の方向へ駆け出し
ポン・ジュースのボタンに向かって左手の指を突き出すと同時に
右手で後ろポケットの財布を同時に出す離れ業を試みた。
「ピピッ!」っという音とともにペットボトルが「ゴトッ!」と吐き出されるのと同時に
到着した電車が「プッシュー!」と扉を開けた。

『あせるな!こういう時こそゆっくりだ!』

往々にして取り出し口で引っかかり、抜けないという愚行を
人間は繰り返してきたのだ。

『余裕をかませ!』

あえて散歩のような気楽さで、ポン・ジュースを取り出し
「プルルルルルルル!」と発車の音が鳴り響く中
キャップの先をつまむように持つ右手をプラプラさせ、左手はポケットにつっこみ
悠然とスローモーションで大股に

扉ではさまれた。


『山手線の車掌は駆け込み乗車に容赦無い!』

過去に横一列に駆け込む三人の婆さんが
横並びのまま挟まれる惨状を目撃したことがある。
それでも強引に入り込もうとする婆さま達を
小刻みに開閉を繰り返しながら段階的に閉める高等技術で
ホームへとはじき出す匠の技。

「ひゃっひゃっひゃっ!」と
ホームで笑い合うババア達が遠ざかる在りし日の記憶が
挟まれた刹那よぎり、僕に力を取り戻してくれた。

『ありがとう!婆3。命を教わりました!』

開く事さえしてくれない扉の圧力の中
ねじ込むように車内へと。
「おおおおおおおおおー!」と心の叫びとともに
僕は車内へと産み落とされた。

「バン」と閉まった扉。
その時、決して緩めようとしなかった扉が
一瞬だけ小さく開かれた。
『負けたよ、、、。』車掌の声が聞こえた気がした。

動き出す電車。
車内に立ち尽くす僕。
辺りを見回すと席が一カ所だけ空いていた。
空席の隣のOLらしき女性が
目の前に広げた文庫本から視線を上げ
僕の生き様を冷視していた。

生唾を飲み込みポン・ジュースを後ろポケットにねじ込み
僕はその空席へと歩みを進めた。
『なにも恥じることは無い。』『なぜ車両を移る必要がある?』
『席が空いている。』『誰も座らない。』『ぼく座る。』『自然なことね。』

「すみません。」
あくまでもジェントリーな響きを崩さず
彼女の隣に静かに腰を下ろす。

とうに本へと視線を戻していた彼女は
無言のまま小さく座り直した。

『喉が乾く、、、。』『我慢しろ、ふた駅の間だ。』
『この混雑で飲み食いはクールじゃない。』

腕を組み、目をつぶり、決戦の刻を待つ武将のように。(足は揃え閉じて)


目的駅を告げるアナウンス。
「カッ!」と目を開き立ち上がり
早めに扉の前へと。

「プッシュー!」という音とともに眩しい世界が開ける。
プラットホームに降り立ち、
閉まる扉越しに
先ほどの席とOLをゆっくりと振り返る。

『たまゆらの時』『こんな形で相見えましたが』『またご縁がございましたら』『もっと違う形で、、、。』

ふと見ると彼女は文庫本を手に持ったまま
横を向いていた。
いや正確には僕の座っていたシートを見下ろしていた。

『そこには』『正面をこちらに向け』『直立した形で』『絶妙な酸味と甘みのバランスで』


「ポン・ジュース」が在った。


すーっと視線をこちらに向けた彼女が
僕の視線と出会う。

不思議と透明で感情のない
しかし起きている事を理解しようという真摯さを持って。

再びシートのポン・ジュースに視線を落とし
そして再びゆっくりと僕を見つめる。


後にして思うと、それが正しかったのか間違っていたのか。
わからない。

『でも』『その時なぜか』『そうせずにはいられなかったのだ』


動き出す車窓に
僕は手を両脇に揃え
ゆっくりと頭を下げた。

『どうか』
『どうか』
『そのポン・ジュースを』

『おねがいします』、、、と。




さわれない世界から




夜の商店街。


三歳になる息子と嫁の三人で

歩く。


たっぷりと湿気を含んだ空気の中を

ゆっくりと潜航する三隻の潜水艦は

裸電球の灯る店先に

寄港。

メダカや金魚の水槽が並ぶペットショップの店頭に

ふたりを残し自動販売機へと。

久方振りのチェリオとお茶を買い

距離を隔てた街灯のもと

振り返る。



いくつもの鳥籠がぶら下がる

ペットショップの軒先で

ふたりは手を繋いで上を見上げ

なにかを話している口が

ぱくぱく、と。



ここからは何も聞こえないせいか

もう、手の出せない世界からふたりを見ている様な。



小首を傾げる鳥達を指差し

笑う。

抱き上げて鳥籠に顔を近づける。

笑う。






ああ、そうか。

ほんとうにずっと

見守って、願うしか

叶わない。


さわれない世界から

こうして見つめている。

そんな存在。



すべてをかけて

幸せを祈っている。



もう、大丈夫。

そう思える時まで。




気のせいか、ふたりがぼくに気がついて
こちらに歩いてきた。








つむぎやの「コンロ1口、絶品ごはん」




なんだか、しばらくぶりに訪れた家が

ツタが絡まり、雑草が生い茂り、色あせた壁紙を見つめ

呆然と立ち尽くす。

そんな気分です、久しぶりの「ぶろぐ」。


窓を開け放ち、空気を入れ替え
張り切っていってみよー、久しぶりの更新!!



1口コンロ表紙 2.jpg



本が出ました。

それも一ヶ月ほど前に。


「つむぎやの コンロ1口、絶品ごはん」 成美堂出版


つむぎや )という男子2人からなるフードユニット。
彼らの魅惑のレシピがつまったお料理本。
その写真を私、撮らさせて頂きました。

本当に簡単な組み合わせや、アイディアなのだけれど
毎日の食卓がぐぐっとパワーUPして、オラびっくりだぞ!

本の中の「塩辛とニンニクをオリーブオイルで炒めて加える」アイディアを使って
我が家ではパスタのペペロンチーノにこれを加えて、アンチョビ気分で
ご機嫌だぞ!

全国書店、およびamazonなどで絶賛(自分で)発売中! 


見かけましたら、パラパラっとめくって
レジに駆けだしてくれよな!


久しぶりのぶろぐ
オラ、緊張したぞ。



えっ?






え!


もう、、、明けてたんですか?



えっ!


去年の9月から更新されてないんですか?



うそ!、、、やだ!、、、、本当に?


どうしよう、、、。


とりあえず、、、、、、大掃除を。


やだ!いまから?



でも。




やらないよりは、、、。



うん。









じゃあ。










明けまして






今年も






どうか






やさしく。







良い年を。









ね!







年賀.jpg




























道連れ [エッセイ]



とある休日、家族三人で自転車に乗り
行き先も決めずにふらふらと走っていた。

嫁さんはしきりに「どこに行くの?」と、繰り返す。

あてなく行くのが良いんじゃないか!価値観の相違だな。
「あのね、一人で行くのならどうぞお好きに。
でもね、ふらふらと急に方向転換するあなたの後ろを
ついて行く身にもなってほしいのだけど!」

それは正論だ。

口喧嘩を織りまぜた夫婦の会話を
ハンドルの前のチャイルドシートに乗る我が息子は
聞いているのか、情操教育。バスを見るたび指を突き立て
「とーとね。」と意味深な言葉を繰り返す。

それでも、やはりふらふらとハンドルは
気の向くまま足のこぐまま、なんとなく角を曲がり路地をゆき
気づくと雑司ヶ谷の鬼子母神に行き当たった。

「あたし、他人事に思えないのよね、、、。」

なにが?鬼子母神が?鬼子母神は自分の子供を育てるために人間の子供を食らっていた。
それを見かねたお釈迦様が彼女の末の子を隠してしまい、嘆き悲しんだ彼女は自らの行いに気付き
お釈迦様に帰依して安産・子育(こやす)の神様になったとさ、、、。っていうところに?

「うーん、わたし前世で鬼だったことがある気がするのよね。」
鬼ですか、、、。それはなんだか、、、切ないね。
「そう、切ないのよ。」


熱心に手を合わせる彼女を遠目に
境内の駄菓子店で梅ジャムとミルクせんべいを買う。

ベンチに腰掛けハトを追い回す息子を眺めていると
向かいのベンチに座る家族連れの足下に
一匹の猫を見つけた。

その猫は遠目からも判るほど薄汚れ、体は骨と皮だけといった感じ。
目ヤニでぐちゃぐちゃになった顔に口からはヨダレが垂れている。
フラフラしながらも、かすれる鳴き声を上げながら
人懐っこく足下にすり寄ろうとしている。

よく見ると首輪をしている。
飼われていたのが捨てられたのか
それとも迷ってしまったのか。

向かいの家族連れは、そのあまりの汚さに顔をしかめて立ち去ってしまった。

しばらく気が抜けたように座り込んで、じっとしていたその猫が。
ふと振り返り僕の方に歩み寄ってきた。
近づいてくるにつれて、ひどい様相がよく見えてくる。
確かに少し触るのも、ためらわれるくらいの姿だ。

「にゃあ。」とかすれる声ですり寄る猫をそっと撫でた。

後から来た嫁さんが、近くの店でエサを買ってきてくれた。
鼻も利かなくなっているのか、置いたエサに気づかず鳴きながら
すり寄る。持ち上げて顔をエサに近づけ、どうにか食べ始めた。

「よく食べなさい。」
声をかける嫁さんと共に神社を後にした。


その夜、寝床でどうしても昼間の猫が頭を離れない。

「そうね、あたしも考えていた。けど、ウチにはいるからね、、、。」

そうなんだよね。前に住んでいたマンションの5階の部屋の玄関に
生後2ヶ月ほどの白黒の子猫が、どうやって来たのか鳴いていた。
すくすくと育ち、今や4歳。女盛りのワガママ盛り。
ちなみにそのマンションは動物禁止。
内緒で飼っていたのだが、息子が生まれて一年目
大家にばれて、すったもんだの挙げ句、部屋を出ることに。
猫一匹、赤子一匹、大人ふたり
父が一人で住む実家に転がり込んだのだった。

「この家であの猫と一緒には、ちょっとキビシいよね、、、。」
だよね。なんとかならないかな。せめて獣医に連れて行くとか。

「その後、どうするの?」
うん、、、、。


翌日、どうしても気になって
せめてエサでも、と仕事の合間に鬼子母神へと。
境内を探すも見つからず、諦めて帰ろうと神社の隣の公園を横切ると
公衆便所の入り口の壁際に、丸まって寝ているあの猫を見つけた。

歩み寄ると、はっとしたように汚れた顔を上げて
ふらふらとこちらに歩いて来た。

その時、初めて気がついたのだ。

その猫はウチにいる猫と
同じ柄の白黒だった。



「ねえ、やっぱり飼ってみようよ。色々、問題はあるけど
それはやってみてから考えればいいし。あの子、ウチの猫と同じ柄だし
こうゆうの、縁だから。出会っちゃったもんは仕方ないでしょ。」

帰ってくるなり、嫁さんが切り出した。




さらに翌日、再び家族三人自転車で鬼子母神へと。

やはり便所の壁際に丸まる、その猫を抱き上げ
近くの動物病院へと。

できれば、と祈ったが
残念なことに猫エイズに感染している上に
発症、進行中との診断。

どれぐらい生きるのか判らない上に
ウチの猫に感染の危険もあると説明される。
「広い庭とかがあれば、分けて飼うことも出来るんですけどね、、、。」
との獣医の説明にインスピレーションを感じ
引っ越しを決断。

一週間入院させることにして、帰路に。

「なんだか私達、猫のお陰で人生が動く気がするね。」
そうかもしれない。でも猫だけじゃなくて、子供ができてからもそうだ。

自分では、どうにも進むことも選ぶことにも躊躇する、そんな時
目の前に現れ、出会ったモノが
大きな変化と動きをもたらしてくれる。



旅の道行き、ペダルをこいで進むキャラバン。


道連れは多いほうが良い。





(追記)
引っ越しの契約やら準備やらで、慌ただしい中
実家にやって来たその猫は一日三食エサをたいらげ
甘えては水を飲み、また甘えては飯を食い、徐々に肉がついてきた。
皮膚病のなのか、毛が無く禿げ上がった背中や腕が
撫でるたびにみるみる生え揃い汚かった体毛にも艶が出てきた。
生き物は不思議だ。
ご飯や水分だけでなく、別のエネルギーも必要なのだ。



キャラバン [その他]



イベントに参加します。



Caravan 1.jpg



「おいで、おいで

 あなたが誰であろうとかまわない
 
 私たちのキャラバンは

 絶望のキャラバンではない

 たとえあなたが自分の誓いを

 千回破ったとしても

 おいで

 おいで、おいで、

 それでももっとおいで」

 
 ~ルーミーの詩より~




13世紀のトルコの神秘家「ルーミー」の詩編。

イスラム教の中に突如、生まれた神秘主義の教団「スーフィズム」

その教えと、ただ回り続ける事で神との合一を目指す「旋回舞踏」

その異端ゆえにイスラム教や時の権力者からも弾圧を受けたといわれている。

そのスーフィズムの中においても特別な存在だった、神秘家「ルーミー」。

その言葉は詩のように美しく、力を与えてくれる。



caravan3.jpg




永遠のキャラバン。

それは終わりなき旅路のなかで

ひととき出会い、共にゆく

道連れ。


ともに参りましょう。







お料理写真 [写真]




最近、仕事で料理の写真を撮る機会が多い。



ケーキ.jpg



美味しそうに、とか

おしゃれな感じで、とか

臨場感のある感じで、とかとか


お茶2.jpg


お茶.jpg



でも、こんなオーダーがあってもいいんじゃない?


事件な感じで、とか

IMG_3779.jpg


彫りが深い感じで、とか

パン.jpg


なんか呪いがかけられた感じで、とかさ

魚.jpg



もしご要望がありましたら、

喜んで撮りに参ります。





ブログ道 [その他]




書こう、書こう、明日書こう。

明日はブログを書こう。


ときわ荘で誓ったあの約束。

日々の締切りに追われて、忘れそうになる。

テラさんに優しく叱られ、諭され、

もう一度書いてみようと洗面所で顔を洗う。

神様に貰ったベレー帽を被り

キーボードの前に向かう。


書きたいことは沢山ある。

見せたい写真もある。


書こう、書こう、明日書こう!

明日はブログを書こう。



キミと目指す「ブログ道」。








千年の愉楽 [その他]



千年の愉楽_表_メール用.jpg



久しぶりの更新で、イベント告知です。

来週の4/25(土)に隅田川のたもと蔵前の「かやの木会館」という所でやります。
音楽あり、ダンスあり、ライブペインティングありの
ジプシーの旅興行のような、ごった煮イベントです。
私も映像で参加いたします。

お時間がありましたら、ぜひいらしてくださいな。


演奏家プロフィール

<船原 徹矢>

主に南アジア〜中近東の楽器を操るパーカッショニスト。

世界60ヶ国以上を旅し、様々な文化、音楽に触れ、太鼓で詠うことの素晴らしさを知る。

Glen Velez氏に世界各地のフレームドラム奏法を集約した、コンテンポラリーテクニックを

立岩潤三氏にレク、アラブリズムの基礎を師事。

その後チュニジアにてLofti Batuta氏にトラディショナル奏法とリズム理論を学ぶ。

インドにてPt. Ishwal lar Mishra氏にタブラバヤを師事。渡印を重ねる。

中近東打楽器の最高峰といわれるフレームドラム「Riqq(レク)」の数少ない日本人奏者として

アラブ音楽、トルコ音楽等で演奏。

ダラブッカなども操り、ロマ、ジャズ、ラテンなどとのセッションやコンテンポラリー、ダンサーとの共演も多数。



<市川 明良>

治療家、ミュージシャン。

テクノ、プログレッシブ・ロック等のバンドに多数参加し22歳で渡英。サックス、トランペットを始める。

帰国後、いくつかのバンドに参加するが演奏活動を中止。

塙 英樹氏(音楽家、インドネシアン・ロック評論家、音楽ライター)の助言により

以前より好きだったNoiz、フリー・インプロヴィゼーション(完全即興演奏)、

ミニマル・ミュージックによるスタジオ・セッション,ならびに厖大なレコーディングを20年間、氏と共に行なう。

近年はComputerを使用し、カオス理論、フラクタル理論による作品を多数制作。

独自の理論にもとずいたヴォイシング、スケール等を考案し、Electric chromatic harmonicaによる

「無伴奏ソロ」演奏も開始。また現在、純正律による音楽の探求中。



千年の愉楽_裏_メール用.jpg


前売り希望の方、こちらまでメールください。

kanajun@bf7.so-net.ne.jp





ドリーム・マスター その1 [ドリーム・マスター]



窓のサッシを閉めると、部屋は昼間でも夜のように暗くなる。

しかし人工的な闇なので、のっぺりしていて動きの無い暗闇。

お気に入りのスタンドのスイッチを入れると
黄色い暖かな光が燈り、壁から天井にかけて
にゅっと影が伸びる。

よし、また今日も変わらず良い気持ちだ。
落ち着けて、懐かしくて、すこしうんざりするけど
嬉しい。

ベットに横になりスタンドの光を見つめながら
浮かんでくる取り留めの無いイメージの泡に身をまかせながら
それぞれのビジョンに匂いを感じる。

さて、そろそろいこう。
あの世界に。
誰も邪魔しない、すべてが叶う
あの場所に。

目をつぶり、浮かんでは消える色々なもの
思考や感情や感覚が
形をとどめておけない状態をゆるす。

きた。

すーっと引き上げられるような
または深いところに沈んでいくような

気がつくとそこにいる。
この場所だ。
知っている、慣れ親しんだ世界。

夢の中で覚めている
自分が夢を見ているとわかっている
自らの意思でここに来たと知っている


この世界で僕は何でも出来る。





高校生の時期、僕は不登校児だった時があった。

一年のうちの半分近く学校を休んでいた。
とにかく学校に行きたくなくて、始めのうちは外で時間をつぶしていた。
通学電車に乗って、そのまま終着駅まで乗り続け
見知らぬ街をふらふらと歩いていた。
それはとても楽しい時間だった。

徐々に下車する駅をずらしていき、そろそろ学校近くの駅に近づき始めた頃
途中下車の旅を止め、電車に乗って数駅で折り返し
そのまま家に帰るようになっていった。
共働きの両親が出かけた家に戻り
再びベットの中に。

そのうち出かけるふりもしなくなり
両親や同居していた祖父母に見つからぬよう
押入れの布団と布団の間に挟まり
眠るようになった。
時には壁際とベットの間を30センチほど離し
その間に挟まりこみ、上からふんわりとシーツをかけて隠して眠った。

とにかく眠った。
眠って眠って眠り続けた。

学校が休みに入るとさらに遠慮なく眠った。
夕方に眠り、目を覚ますと窓に薄明かりがさしている。
「ああ、朝か」と思い見ていると、どんどん暗くなっていく。
24時間眠って、翌日の夕方だったのだ。

より深い眠りのために部屋の窓のサッシを閉めた。
眠りはエスカレートしていき、時には丸二日眠り続けるときもあった。
目が覚めて時計の日付を見ると二日過ぎている。
まるで浦島太郎の気分である。

母親は心配して、病院に行かせようとした。
なんでもアフリカの方に蚊を媒介にした「眠り病」という病があるらしく
感染すると何日も眠り続けて、最期には死んでしまうらしい。
「ここは日本だから!」と拒んだ。

そのうち朝も昼も夜も無く、自由に眠れるようになってきた。
寝入りも早く、目をつぶって一分くらいで眠れるのだ。


そしてある時、不思議な体験をする。
夢の中で気がついたのだ。
「あ、いま俺眠っている。これは夢なんだ!」と。









続 あ! [その他]




あ! っというまに今年も残すところ10ヵ月半。

ブログも更新せず1月半。

そろそろ春の予感。

春の匂いに、ほんわかしてると

なんだか青い匂いが混ざり始め

ん?なんだか海が俺を呼んでるような気がするなと

急いで海へと駆け出して

電車にすればよかったと

やっと着いた夕暮れ時の砂浜を歩くと

また来年ね、と海の家の解体作業が

何も起こらなかった夏の未練を

枯れ葉の並木道をカサカサとうつむき

ふと見上げると

空から静かに白いものが舞い落ちてくる。


メリクリ。来年もよろしくね。




祝 あけまして謹賀新年 [その他]




昨年は皆様のおかげでございました。


今年は年男でございます。


本年もなにとぞよろしくお願いいたします。



2009年 元旦(一時間過ぎ)





いま、たぶん世界の誰かさんも考えたこと [エッセイ]


今に限ったことではないのだけど、最近とくに感じることがある。
それは「今、自分が考えている事が本当に自分の考えている事なのかが定かではない」ということ。

たとえばテレビを見ている。
そこで喋っている芸能人に突然イラっと腹が立つ。
自分としては理由がわからない。とくに何か引っかかるような事を感じない。
ふと隣で一緒に見ている嫁さんに声をかける。

「今、このタレントさんに腹立てた?」

「なんで判るの?ちょっと前の物言いにカチンときてたんだよね、、、、。」


または電車に乗ろうとしていると、扉の前で急に嫌な気持ちにかられる。
急いでいて、違う乗り口に変える余裕がなく電車に乗り込む。
電車が走り出しても、そわそわとして落ち着かない。
すると少し離れたところで突然、乗客同士が口論を始め喧嘩になる。

これも喧嘩してる当人たちの感情なのか、不穏な空気を感じた周りの乗客の気持ちなのか、、、。


近くにいる人間の感情が自分に流れ込んでくるのはまだ判る。
しかし距離や時間を隔てていてもこういう事は起こる。

十数年ぶりの友人に街で偶然会った時に
なぜか朝から普段考えもしない相手のことを
お互いに思い出していたりする。

合気道の道場で自分が受け持っている教室でも。
その日にやる稽古の内容を僕はいつも始まってから思いつきで決めている。
遅れてやって来た道場生が入ってくるなり
「最近ずっと、今やっている内容について考えていたんですよ。着いたらやっているからびっくりしました!」


昔、若かった時には「自分は自分だ!」と無邪気にも信じて疑わなかった。
けれども歳を経て、自分の思考、感情、意識や体、それら全てが独立してある訳ではなく
色々なモノの影響の上にあることに気づき始めた。


その日の天気。(ロシアから南下してきている低気圧に)

昨日、食べた食事。(殺されることを悟り、怯えていた子牛を使ったステーキ)

今日着ている服。(中国の工員が恋人の事を考えながら縫い付けた襟首のタグがチクチクとする)

世界の誰かさんの思いつき。(ヒマラヤの村の若者が新しい社会の仕組みを農作業中にひらめく)


それらが想像もつかない次元と複雑な絡み合いで
今この時も僕に影響を及ぼす。

そう考えたときこの身体や自我さえも
世界と自分を隔てる境界ではないのかも。

「僕が発明しました!」とか、
「俺が見つけたんだ!」とか、
「自分で決めたことだから、、。」とか、
「あーイライラする!」とか、
「そう、私らしく!」とか、とか。

自分がやった、自分が考えた、自分が自分が、、、と思っていると気づかない。
けれどもつながっている。気づこうと気づくまいと。

それがとても嬉しく感じるのだ。
誰にも見られていなくても、誰に知られていなくても
今、そこにいるだけで世界に影響を及ぼしている。

だから、遠慮なく行動しようと思うのだ。
思うがままに。




イロイロ [エッセイ]




本当に、毎日色々ある。


同じ日なんて無い。
当たり前といえば当たり前。
に、しても毎日毎日、イロイロだ。



仕事場の整理をしなきゃ。そういや壁の塗り替えが途中だな。(塗りムラ目立つなー。)

そうそう、息子のウンコが固まり始めた。大人な形だった。(立ちながらいきなり泣き出すのは、キバッてたのね。)

車の保険の更新の葉書はどこに?

テレビの映りが悪いので今さら室内アンテナを買った。
(なんと!地デジ対応の室内アンテナがあった。て、いうか未だアナログブラウン管。)

外の植木のパッションを越冬のために室内に入れないと。
あ、ツタが絡みまくってたな。どうしよ。(あれ、全部外すのか?)

年賀状のこと忘れてた!あ、ハイハイ猫の缶詰帰りに買います。

あーあ。とうとう任天堂DS買っちゃった。(ええ、脳年齢53才って、、、。)

そうか、なるほどね。宇宙はそんなことになってたのねー。

鳥インフルエンザが人から人に感染!?(流行したら、二週間分の食料を買って絶対外出しちゃ駄目だって!)

なかなか玄米ってイケるね。美味しく思えてきたよ。

息子はまだ寝ないのか?もう夜中の三時だぞ。(誰に似たんだか、、、あ、オレ?)




、、、、、今日も色々あった。

また明日もイロイロだろうね。


今年もまだまだ色々。



来年はもっとイロイロでありますように。







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