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いま、たぶん世界の誰かさんも考えたこと [エッセイ]


今に限ったことではないのだけど、最近とくに感じることがある。
それは「今、自分が考えている事が本当に自分の考えている事なのかが定かではない」ということ。

たとえばテレビを見ている。
そこで喋っている芸能人に突然イラっと腹が立つ。
自分としては理由がわからない。とくに何か引っかかるような事を感じない。
ふと隣で一緒に見ている嫁さんに声をかける。

「今、このタレントさんに腹立てた?」

「なんで判るの?ちょっと前の物言いにカチンときてたんだよね、、、、。」


または電車に乗ろうとしていると、扉の前で急に嫌な気持ちにかられる。
急いでいて、違う乗り口に変える余裕がなく電車に乗り込む。
電車が走り出しても、そわそわとして落ち着かない。
すると少し離れたところで突然、乗客同士が口論を始め喧嘩になる。

これも喧嘩してる当人たちの感情なのか、不穏な空気を感じた周りの乗客の気持ちなのか、、、。


近くにいる人間の感情が自分に流れ込んでくるのはまだ判る。
しかし距離や時間を隔てていてもこういう事は起こる。

十数年ぶりの友人に街で偶然会った時に
なぜか朝から普段考えもしない相手のことを
お互いに思い出していたりする。

合気道の道場で自分が受け持っている教室でも。
その日にやる稽古の内容を僕はいつも始まってから思いつきで決めている。
遅れてやって来た道場生が入ってくるなり
「最近ずっと、今やっている内容について考えていたんですよ。着いたらやっているからびっくりしました!」


昔、若かった時には「自分は自分だ!」と無邪気にも信じて疑わなかった。
けれども歳を経て、自分の思考、感情、意識や体、それら全てが独立してある訳ではなく
色々なモノの影響の上にあることに気づき始めた。


その日の天気。(ロシアから南下してきている低気圧に)

昨日、食べた食事。(殺されることを悟り、怯えていた子牛を使ったステーキ)

今日着ている服。(中国の工員が恋人の事を考えながら縫い付けた襟首のタグがチクチクとする)

世界の誰かさんの思いつき。(ヒマラヤの村の若者が新しい社会の仕組みを農作業中にひらめく)


それらが想像もつかない次元と複雑な絡み合いで
今この時も僕に影響を及ぼす。

そう考えたときこの身体や自我さえも
世界と自分を隔てる境界ではないのかも。

「僕が発明しました!」とか、
「俺が見つけたんだ!」とか、
「自分で決めたことだから、、。」とか、
「あーイライラする!」とか、
「そう、私らしく!」とか、とか。

自分がやった、自分が考えた、自分が自分が、、、と思っていると気づかない。
けれどもつながっている。気づこうと気づくまいと。

それがとても嬉しく感じるのだ。
誰にも見られていなくても、誰に知られていなくても
今、そこにいるだけで世界に影響を及ぼしている。

だから、遠慮なく行動しようと思うのだ。
思うがままに。




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