SSブログ

日記 その2 [エッセイ]




知らない町を歩いていたら

塔に出会った。


その塔はずいぶん前から建設を進めているらしいのだが
未だに完成をしてないらしい。

近くでアスファルトを引き剥がしているのだろうか
湿ってずいぶん長いこと空気に触れることのなかった土の匂いが
鼻をついた。




いつか焼却炉の煙突のてっぺんの部屋に
住んでいる夢を見たことがあったのを思い出した。

その部屋は四方に窓があり(窓と言ってもタダの四角い穴なのだが)
それぞれの窓から見える街並みが
過去に見た夢に出てくる街なのだった。
それぞれの街はまったく違う時期に夢で見た街なのだが
どうやら、それぞれの街はつながっていない様なのだ。

それぞれに独特の匂いと言うか雰囲気を持っていて
煙突の上から四方を眺めていたのだが
どうしてもその内の一つの街に行きたくなってしまった。

でも、その部屋には階段もなければ縄梯子もついていない。

そうか。ずっとここに暮らしていたんだっけ。
諦めというより安楽な気持ちで横になった。


そんなことを思い出していた
この見知らぬ街の見知らぬ塔の前。



気がつくと薄暗い、いつもの寝床。
夢の中で夢を思い出していたらしい。


あの煙突の部屋への行き方を見つけたような気がしたのだが
思い出そうとするそのそばから
記憶が水面の紙のように崩れ
消えていってしまった。

枕元に手帳をおいとかないとな、と
思っている意識が

再び押し寄せてきた睡魔で滲み始めた。




IMG_9186.jpg







一日の終わりに [エッセイ]



IMG_7867b.jpg

IMG_7867.jpg



泣けるくらい夕日がきれいだったので




IMG_6143.jpg



景気づけに栄養ドリンク飲んで
ぐっとつぶしてみた。

あんまりへこまなかった。


いい日だった。






ある午前の風景 [エッセイ]



昼前の児童館は戦場だった。


IMG_4946.jpg


数に限りがあるオモチャの車の争奪戦。

あちらこちらで行なわれる車の所有権を巡る抗争。
暴力を行使する子供。泣きわめきしがみついての防衛。
親の微妙な仲裁と牽制。


IMG_4957.jpg


ふと見ると我が息子、

デッドスペースに乗り捨てられた新幹線をゲット。


IMG_4963.jpg


その後も何回か途中下車を繰り返すも

他の車には脇目もふらず
新幹線をチョイス。

一才そこそこで好みがブレない。
見習いたいものだ。


IMG_4980.jpg


飲み物なら迷わないけどね。
ミルクたっぷりが好き。


IMG_4966.jpg



、、、、そうですか、

それはよかったね。





続続 三丁目の夕日 [エッセイ]



仕事を求めて家族三人、上京してきた。



IMG_9729.jpg



町の広場は人々の歓声や怒号にあふれ

あてどない時間が過ぎてゆくばかり

火事か空襲のような真っ赤な夕暮れの空をみながら

これからの三人の行く末を思うと

不安と絶望が仲良くワルツを踊って現れる。



ひときわ多い人だかりの輪の中に

初めて見る街頭テレビを見つける。

テレビの画面のなかで日本人のレスラーが

自分の体よりでかい外人レスラーと戦っていた。

打たれても打たれても立ち上がり

平手チョップで戦う彼の姿を見ていると

体の芯から熱いものがこみ上げてきて

絶対この二人を守ってやるのだと

気がつくとコブシを握った手が小刻みに震え

目からは涙が溢れていたのだった。


IMG_9742.jpg



横浜ラーメン博物館にて






電脳化希望 [エッセイ]



パソコンが壊れた。


たったそれだけでドタバタの大騒ぎだ。
仕事が出来ない、メールが出来ない、ブログが書けない、
判らないことを聞けない。(ネットという名の長老さまに、判らない事は全部教えてもらっていたのだった)

パソコンに依存した命、だったのだ。
パソコンに食わせてもらっているのだ。(家族ぐるみで。猫含む。)

ヒトは言う。
「人間は本来、自然の一部。
電子なぞ無くとも生きてゆける
さあ、テレビ、パソコン、車に携帯。
すべてを捨てて本来の姿に!!」

なーんつって生活出来ません、必要です。

たしかに、たかだかプラスチックの箱を開けて
あーでもない、こーでもない、と脂汗たらしている時に一瞬
「なんでこんなものに振り回されているのかしら?」と疑問を抱く事もある。
けど、あるおかげで出来なかった事が出来るのは確か。
まー望むか望まないかはヒトそれぞれだけども。


アニメで脳を電脳化して、たえずネットに繋がっている未来のお話。
電脳化の手術は個人の自由。
したい?したくない?

僕します。たぶん。

むかしむかしは自然を媒介にして世界と繋がっていた人間。
けど、生まれも育ちも都会っ子の僕にとって電気の世界も身近な環境であーりました。
ウチの息子は一才ですが、勝手にパソコンつけて「テツヤ・コムロ」ばりにキーボードの上に乗り、叩いてます。
それに僕の携帯のロック解除して勝手に電話をかけます。
(仕事先のヒトから、荒い息づかいで無言電話があったけど、なんですか?って言われました。)


ヒトは言う。
「ネットの世界はウソばかり。それに自分にとって必要な情報なんてわずかだ!」
そうね、でも現実の人間もウソはつく。ついているのも判らないウソまである。
ホントかウソかはどーでも良い。
自分が信じたいものは信じます。
見てから決めます。

お話のなかで、ネットから脳みそハッキングされて
操られたり、記憶を書き換えられたりする危険があると。

大丈夫、今でもすぐにヒトに乗せられるし
記憶も自分好みに改ざんしてますから。


で、、、、電脳化したいです。

とりあえずパソコン直るまでに、はやく、、。





マグロと見る夢  完結編   [マグロと見る夢]




「何度も逃げたいと思ったよ。けど海の上じゃ逃げるとこないでしょ。」


そう言って彼は笑った。


目の前の、自分とさして歳も違わないであろう男が話すマグロ漁船での話。
老人が戦場の経験を話すかのような
自慢げでもあり、「二度としたくないけどね」といったシニカルな含み笑いと。

自分の経験したことの無いことを想像するとき
肉体を伴わないイメージは映画や漫画で見たシーンの切り張りのような劇画タッチの滑稽さを伴い
嵐の海、揺れるランタン、叫びあう船員、
妄想の映像で埋め合わせながら彼の話を聞いていた。


「でも、仕事もタイヘンだったけど、もっとタイヘンだったの人間でした。」

「人間?コミュニケーションってこと?」

「そう、コミュニケーション。イノチかかってたからね。」

「いのち?」

「そう、ライフ。わかりますか?」

「わかるけど、命がけのコミュニケ-ション?どうゆうこと?」

「船には色んな国のひとが乗ってたでしょ。仲の悪い国同士もあるし、もし喧嘩してもみんな見てるだけ。でも、船の上のみんなに嫌われたら、、、。」


「嫌われたら?」 にやにや笑いながら言葉を切る彼にしびれをきらし催促するように聞き返すと
彼は急に足を前に蹴り上げて、首のところで突き出した親指を横に動かした。

「コレです。」

「まさか、本当に?」

「寝ている間にみんなに運ばれて、海にポイです。」

「そんなことしたら殺人事件になるでしょ?」

「海の上、誰も見てませんよ。それにみんな後でマグロ獲っているとき事故で落ちたって言えばオッケーです。」

「、、、、、、死体もみつからないし。でしょ?」

「そうです!マグロのご飯になります。」

「魚のエサにしてやるぞ、、、か。」

「なんですか?それ。」

「ジャパニーズマフィアの言葉。」

「おー、そうですね。陸で逃げたらそれになります。」


なんだかぐったりとしてきた。
人間のすることだ。大抵のことは現実に行われていることなんだろう。
うわさ話や都市伝説のたぐいなんかも、多少の脚色はあれど現実がもとになっているのかもしれない。
しかしこうして目の前で体験した人間が話す言葉を聞くとやはり実感を伴ったインパクトがある。

「大変だったね。」そんな間抜けた感想しか言う事が出来なかった。

「タイヘンでした。けど生きてお金をもらって、わたしの店できました。今はとてもハッピーです。」


チャイのお金を払い、面白い話の礼を言って店を出た。
別れ際に彼が「もし、お金ほしっかったらマグロ漁船のオーガナイザー教えますよ。」と
笑いながら言った。
なんだか冗談に思えず、本気でお断りした。


宿にもどり昼寝をしようとしたが、蒸し暑さで眠れない。
むき出しの鉄パイプにマットをのせただけのベットの上に横になり
天井の大きなファンがきしみながら回るのを眺めていた。

先ほどの話が頭から離れない。

夜の海。360度見渡す限り水平線。
こんなにも陸を求めている。
底の見えない真っ黒な海面が恐ろしい。
疑心暗鬼と膨らむ不安の妄想。
昼間の船上でのやり取りを思いかえす度に疑いの言葉がうかぶ。
もしかしてあいつが、いや、もしかして全員がオレのことを、、、。
かけ離れた民族より、近しい人種が怖い。
眠ることがこんなにも怖いなんて。
殺られる前に、いっそ先に、、、。
あんなにも愚かな、と思っていた民族紛争が実感としてせまってくる。
異国の地で感じる不安感がリアリティーに加速をかける。

身体を起こしベットの縁に座り、温くなったミネラルウォーターを飲む。
ファンのきしみが湿気っで満たされた部屋に響く。
身体から、もしかしたら毛穴から溢れ出しているのかもしれない止めどない妄想。
それらがとけ込み、様々な物質を含んだ粘度の高い部屋の空気は
循環すること無くファンによってかき回される。

息苦しい。

とにかく外の空気が吸いたい。
夕刻を前に部屋を出て再び路地をゆく。
ガンジス河が見たくなり河へとおりる道を選ぶ。
視界が開け河が目の前に現れた時、大きく息をついた。

ガンジス河の岸辺沿いに続く道を
河を見ながらユックリと歩く。
ただただ同じ方向に流れ続ける河を見つめる。
動き続けるものを見ることで自分の思考が逆に停止に近づく。
心地がよい。

少し先の川岸に船着き場のような場所を見つけた。
10人くらい乗せられそうな手漕ぎ舟が何艘かつながれており
今まさに数名のインド人の家族と西洋人のカップルらしき二人が船に乗り込んでいた。
「彼岸の渡し」だ。
このベナレスの街からガンジス河を挟んだ対岸は、彼らにとってあの世「彼岸」なのだそうだ。
そのため対岸にはいっさいの建物がなく川辺に長く砂浜が続いている。
対岸には毎日、巡礼者や観光客達がひっきりなしに渡っている。
巡礼者は花や食べ物を携え対岸に置いて来るのだ。

今までさして行こうとも思わなかったのだが
急に対岸に行ってみたくなった。
出発直前の舟に駆け寄り、船頭に金を払い舟に乗り込んだ。

ゆっくりと岸辺を離れ漕ぎ出す舟。
川の流れは以外に速く、流れに逆らうように斜めに舟は進む。

舟の縁から河を覗き込む。
茶色く濁った水。
この水の底、川底に堆積した様々なもの。
5000年もの年月、この国の人々はここを聖地と信じ
死んでこの河に流されることを夢見て灰になる。
何億、何十億、もしかしたらそれ以上の人々の遺体や遺灰を飲み込み
この河は今も流れ続けている。
先ほどのマグロ漁船の話を思い出していた。
考えてみれば海も川も同じだ。陸でさえも。
どこにだって人は死んで体積していくのだ。
足元の土に、もしかしたら飲み水にも死体の一部は含まれているのだろう。
いたるところ死体まみれだ。
海底に堆積する漁船から落とされた人々。
いや、マグロに食われトロの脂に姿を変えるか。
(マグロは遺灰も食べるだろうか、、、、?)


舟は対岸に着いた。

降りるとそこは本当に何もないところだった。
砂浜が見渡す限り左右に続き、足元は供え物の残骸で夏の終わりの海岸のようだ。
夕暮れがせまり、うっすらと青みがかった暗い空のもと
「彼岸」はやけに静かであった。
熱心に供え物とともに祈りをあげるインド人の家族。
その少し先に西洋人のカップルが、もう見るものも無いといった感じで所在無く佇んでいる。


少しづつ光が灯りはじめている対岸のベナレスの街を見る。
狼煙のように何本も上がる火葬場の煙。
風に乗ってわずかに聞こえる歌のような祈りの声、人々の喧騒。
静寂の彼岸から見る対岸は、まみれるような生にあふれ
人々が叫びあい、糞にまみれ、死んでいく。

焦がれるように懐かしさがこみ上げてくる。
はやく、はやくあちら側にもどりたい。


船出を告げる船頭の声を聞き舟にもどる。


対岸に向けて漕ぎ出す舟の上
少しづつ近づくベナレスの街を見ながら
明日この街を発とうと決めた。






高熱夜行 [写真]



息子が熱をだした。



39度が三日三晩つづき
うなされるように愚図り泣く様子を見ていた。



IMG_0684.jpg

IMG_0709.jpg

IMG_0730.jpg



子どものころ、高熱を出して

天井の木の節の模様がヒトの顔に見えた。



IMG_0745.jpg

IMG_0747.jpg

IMG_0750.jpg


大勢の人間の歓声が聞こえ

どんどん大きくなって

怖くなって自分の声をだしてみたら

しーんとして、応接間のテレビの音が遠くの方から聞こえた。



IMG_0778.jpg



心細くて誰かに来て欲しいのを

恥ずかしさで我慢した。



IMG_0779.jpg

IMG_0780.jpg

IMG_0781.jpg

IMG_0783.jpg

IMG_0785.jpg

IMG_0786.jpg


目を覚ましたとき

水枕を替える家族がこのうえなく嬉しくて

かすれる声でモモの缶詰をねだる。



IMG_0787.jpg

IMG_0788.jpg

IMG_8715.jpg




息子の熱は四日目の晩にひいていった。







熱帯夜の風景 [エッセイ]


IMG_3212.jpg




蒸し暑い夜の街に

大きな恐竜が、たたずんでいました。


暑いのでサッパリとした、レモン味の缶酎ハイが

しゅわっと。

片手に柿ピー、荷物が重い。

熱帯の国の腐ったような匂いをかいで

うれしくて、ニヤニヤしてる。



お先に失礼します。







ウラトラ [その他]



いつも美味しいごはんと素敵な音楽を頂いている恵比寿のお店「カチャトラ」

そのあたらしいイベントが今週の日曜にあります。

お時間とご興味がございましたら

ぜひ。


恵比寿カチャトラ HP

uratora_080831_b.jpg


まる [エッセイ]



こんなにきれいな円を作れるんだなー。人間って。

うつくしい。

と、ビール片手にしみじみと川辺の手すりを見つめていた。夏。



IMG_6805.jpg





うでなし娘 [うでなし娘]



昔むかし、あるところに、腕のない娘がおりました。


むすめは生まれたときから両方の腕がなく、母親はたいそう悲しみました。
それでも娘はすくすくと育ち、歩けるようになると野山を駈けまわり
草花の匂いを嗅ぎ、鳥や虫を眺め、空に浮かぶ雲を見上げニコニコと笑っておったそうな。

そんな娘を村人たちは、さけるように遠くから見ておった。


無邪気な娘も成長してくるにつれ、村人の視線の意味が判るようになると
なるべく人目をさけて家にこもるようになっていった。

もとより父親のいない娘にとって唯一の家族である母親が流行病にふせり
とうとう死んでしまった。
母親は死ぬ間際に娘の行く末を哀れみ、娘を産んだことを謝った。


娘はひとり生きていくために足と口でわらじを作り
近くの町まで売りにいく時だけ外に出た。

そんな娘にただ一人話しかける者がおった。
おなじ村に住む茂吉という名の青年で
なにかといって娘の家に野菜を持っていったり、話しかけたり
娘が何も答えずにうつむき、立ち去ろうとも
いつも優しく笑いかけてきた。

すこしずつ、すこしずつ娘は茂吉に心をゆるすようになていった。


ふたりが成人するころ、茂吉は親類の大反対をさけるように
娘とともに駆け落ちした。

人里離れた場所でふたりは暮らしはじめ
茂吉は月に何度か町に出て人足のくちをみつけて働き
娘は茂吉の帰ってくるのを心待ちにして暮らすようになった。
待つのはさびしく心もとないのだが
帰ってくると茂吉はがっしりとした腕で娘を抱きしめてくれた。
娘は茂吉の腕の中でしあわせだった。

ある日、娘は茂吉の帰りを家の前で待っておった。
けれども、待てども茂吉は帰ってこない。
嫌な予感に突き動かされるように、娘は町へとむかった。
町への入り口の橋の下に人だかりを見つけ、おそるおそる人の輪のなかへわけいると
そこには真っ白な顔をして横たわる茂吉の亡がらがあった。
娘は人の目もはばからず、茂吉の冷たい手のひらに顔を押しつけて泣いた。


娘はたいそう悲しみ、食べることもせず家の中で泣き続け
あるとき死ぬと決めて山に入った。
身投げによい場所をみつけ、飛び降りようと月を見上げたとき
自分の身体の異変に気がついた。
娘は子どもを身ごもっておったのだ。


娘は子どもを産んだ。


赤子のために再びわらじを作り売り歩くようになった。
人びとの哀れみの視線も気にとめず
娘は子どもをおぶりながら、わらじを売った。
外の景色を見せるため、娘は赤子をおぶり歩いた。
情けをかけてくれる人びとが増えはじめ
わらじをまとめて買い入れてくれる馴染みの客もできた。

ほほをさわる子どもの小さな手。
娘はしあわせだった。


その日、いつものように作ったわらじを客に納めるため
足と口で荷物を担ぎ、おぶり紐を結び赤子を胸に巻き付け
娘は町へむかうために山を下りていた。
ずっと下に沢が見える切り立った崖のみちを歩いていたとき
おぶり紐が緩んでいることに気がついた。
荷物を降ろして結び直さねばと身を屈めたとたん
結び目がほどけ、子どもがすべり落ちた。

娘は崖に落ちてゆく我が子を夢中で抱きとめた。

気がつくと我が子が自分の胸の中にいる。
それも自分の腕の中に。
娘の肩から両方の腕が生えておった。

娘はいつまでも、いつまでも
自分の手で我が子を抱きしめておったとさ。



めでたし、めでたし。








(追記 最近読んでいた本に一行だけ書かれていた「崖に落ちそうになった赤ん坊を、両腕の無い母親が
必死に抱きとめたら、手が生えていたという昔話」という文章が心に残っていて、なんとなくお話を作って
みました。たぶんいたのではなかろうか、昔むかしのその娘に捧げます。)

続 マグロと見る夢 [マグロと見る夢]



今日も路地を歩く。歩く。歩く。
立ち止まる。


誰かに眉毛を描かれた野良犬が軒下のコンクリートに寝転び
片方の眉だけを上げて僕をうかがい見ている。
ジーと見つめる僕に何のメリットも無いのを感じ取り
犬は再び足に顔を埋め寝に入る。
柔らかな曲線の良い眉だ。
眉毛ひとつでこんなにも表情がでるもんだ。
ひとり関心する。

その日も何体目かの死体が灰になるのを見届けると
自分の身体の欲求を思い出し、遅い昼飯をカレーですませ
路地裏の徘徊を楽しんでいたのだった。

毎日歩いていれば知った道も増えてくる。
なるべく知らない道を選んで
歩く。歩く。


「もしよかったら、一休みしませんか?」

ふいに聞こえたその声が、はじめ自分にかけられたとは思わなかった。
しかし、旅の中で何度となく聞いてきた客引き達のうんざりする日本語とは
あまりにも違う当たりのよい言葉づかいが気になり
振り返って声の主を探した。

「美味しいお茶、ありますよ。少し休んでいきませんか?」

振り向いた先には幾つかのテーブルが並べられた
道に面した小さな食堂のような店があり
どう見てもインド人以外には考えられない若い男が
僕に笑いかけている。
その微笑み方と佇まいが今まで見てきたインド人と違う。
何というか、余裕とでもいうのだろうか
落ち着きがあってこちらの警戒心が自然と薄れる。

「どうぞ、よかったら。今だれもお客いない。貸切です。」

ちょっと警戒の姿勢を残した口の端だけでの苦笑で歩みより
チャイを注文して席についた。

「チャイですね。OK!」

準備をする彼の姿を観察する。
幾つくらいだろうか?若いのは確かだと思うが落ち着いた佇まいが
年齢を重ねているように見させる。

「日本語上手ですね。どこで勉強したんですか?」

「上手いですか?ありがとう。日本で勉強しました。日本人の女の子から。」

そう言ってニヤっと笑った顔は先ほどまでの雰囲気とは違い
今まで出会ってきた、スケベな話しが大好きなインド人の若者のそれだった。

「日本には勉強をしに?学校とか?」

「いいえ、仕事です。何回か行きました。」

「すごいですね。若く見えるのに。」

「日本はとても楽しかったです。他にもいろいろ外国行きました。ハイ、どうぞ。」

チャイを受け取り一口すする。
彼は向かいの席に腰をおろしニコニコしながら僕を見ている。
インドの人々は人を遠慮無く見つめる。
目が合ってもそらしもしない。触るように人を見る。
なかなか見られる事には慣れない。居心地が悪いので話しかける。

「美味しいよ。この店もいい店だね。」

「ありがとう。この店はボクの店。ボクがオーナーです。」

「ホントに?若いのにスゴイね。お金持ちなんだね。」

「お金持ちじゃないよ。ためたよ、お金。船に乗って。」

「船?なんの船?」

「マグロ漁船って知ってますか?」

「マグロ漁船?知ってるけど、、、、乗ったってホントに?」

「インドのボンベイから船に乗って。乗る人をオーガナイズする人たちがいるのです。」

「・・・・・・・・・。」

日本で聞く「マグロ漁船」といえば、金に困った者、借金に追われる者が
最後にヤッチャンの手引きで乗せられるあの話、だ。
噂のような都市伝説のような、なんとも作り話のようなお仕事。
しかし彼の話を聞くと東南アジアの様々な人種の者達が集められ
数人単位で船に乗り遠洋の漁へと送り出される。
一度乗ったら一年は帰ってこれない。
たまに寄港した国で女を買うのが、ホントに楽しみだった。そうである。

「いろいろな国に行きました。言葉も少しなら出来る。ベットで覚えます。
でも仕事は、ホントにホントに辛かった。何回も死にそうになったです、、、、、。」






つづく

我ら、いずこより来りて [エッセイ]




家の荷物の整理をしている親父が
一枚の写真を僕に見せた。



「うわっ、すごいデブな赤ちゃんだねー。イベリコ豚?
 誰よ、これ?」


「お前だぞ、それ。」




「、、、、、、、ウソでしょ?」


「いいや、お前だな。それ。」




「デブだね、、、俺。」


「ああ、デブだな。」






カツトシbaby.jpg




我、いまだ我を知らず。







13 [エッセイ]




先月末に母の十三回忌があった。


正確には祖父と祖母と母の三人の十三回忌だ。

十三年前、同居していた三人の家族が三ヶ月の間に立て続けに逝ってしまった。

祖母と母は一日違いで別々の病院で息をひきとった。

当時、父は葬儀の準備やら死亡届やらで奔走して

感傷に浸る暇もなかった。(と、思う。)


親類を実家に呼んで十三回忌を終えた父は

家族の荷物を整理し始めた。

荷物を吟味しては、たまに感嘆の声をあげ

しばらく眺めた後

ゴミ袋に詰め込む。

玄関に積み上げられたゴミ袋たち。

それらは十三年寝かされた後に

やっと焼却炉へいくことが出来た。



13。

特別な数字。

死んだものにとっても、生きているものにとっても

節目の数字。

時間をかけてちょっとずつ手放していくのだ。

あの世もこの世も。



光の中へ.jpg




オクターブ [その他]




7月11日(金)両国のシアターX(カイ)というところでダンスの公演がありんす。

ちなみに踊るのはウチの嫁さんです。昔の名前でやってます。
あとコラボするは最近、画家宣言をした志水則友くん。
ライブペインティングで絡みます。
音楽も市川明さんが提供してくれた音楽を使ってるんでやんすが
これが、かなりスゴいです。

オクターブとは音階の中の同じ音。
「ド」の上の「ド」、「レ」の下の「レ」。
もともと音には境目は無かったのを西洋が創った音階で区切った。
けど、本来音に区切り目はない。「ド」と「レ」の間は無限の音階が存在する。
なのに「ド」とその上の「ド」を人は同じと感じる。
不思議だす。


表.jpg


身体を使った究極の表現はダンスだと、僕は思っているのです。
この世界の時間と空間の中で、一瞬一瞬に感応して動くこと
それはスゴくこの世界の秘密に触れることの出来る方法だなと。
けれどもそれは、ダンサーという限られた人種の特権ではなく
この世界に存在する全てのエネルギー体に与えられた喜びなんじゃないかと。
画家は描くことで濃縮された時間軸の中で、世界と自己の内宇宙とダンスするし
人々は生活というリズムのなかで長い時間軸の人生のダンスを踊る。
動物は本能と言う名の振り付けの上に、自然と呼応したダンスを踊り
風や川、太陽や月は精妙で大きなうねりのダンスを絶えずデュエットしている。

インドの神様でシバ神は破壊の神様なのだけど
シバは破壊することで同時に創造を促す宇宙規模のダンスを踊っているとな。
(インドで怪しげな土産物屋のオッサンがシバ神の置物をセールスしながら教えてくれた。
 この置物の名前がダンシィング・シバと言って、丸い輪の中でシバが片足を挙げて踊っている。)


壮大なダンスに小さいダンス。
荒々しいダンスに絶妙なシンクロダンス。

踊る阿呆に見る阿呆。
同じ阿呆なら踊らにゃ損、損!


裏.jpg






イン・ザ・キッチン [写真]



台所がちょうど良い。


IMG_8016.jpg


昭和な感じ。


IMG_8032.jpg


風呂場の蛇口から飲む水は

なぜか美味しい。



ビギナーズ・ハイ [エッセイ]




はじめてのことを始める時、ドキドキします。

緊張します。慣れない敬語でしゃべります。

正座で話を聞いちゃいます。

足の痺れを我慢します。

知らない人がいっぱいです。



僕の通って教えている合気道の道場に
このところ見学者がちょくちょくやって来るのです。
先日来た見学者は僕よりも明らかにふた周りくらい年配の男性で
長い時間、律儀に正座をし続け、恐縮しながら話を聞いていたのです。
後日、その方は入会して初めての稽古で
終止楽しそうに身体を動かしていたのだけれど
終わった後に話をしてみると、以前から興味をもっていてこの道場を知っていたのだが
見学に踏み切るまでに随分時間がかかったと言う事を話していた。
「そうなんですよね〜。すごく判ります。」なんて相づちをうちながら僕は
自分が高校生の時に初めて道場の門を叩いたときの事を思い出してしいた。
当時一年の半分近く学校に行かない不登校児の僕が
ある本の中のワンシーンで合気道の画を見た瞬間、痺れるようなインスピレーションを覚えて
気がつくと近所の街道場へと見学に出かけていた。
コンビニで整髪料を買って何故か髪をオールバックにして
白いワイシャツをパンツにインさせて、チグハグな親父のネクタイをしめて道場に向かった。
今思うと自分なりの正装のつもりだったのだろう。
緊張しながら階段を上がり扉を叩いてかすれる声で「失礼します!」なんて声を上げて。
扉が開かれて迎えてくれた人の後ろに
畳を叩く音や衣擦れの音が溢れ大勢の大人達が
道着姿で動き回っているのを見たときのドキドキは何とも言えない緊張と興奮だった。


あたらしいことを始める時

恐れとか躊躇とか、不安とか緊張とか
出会いとか驚きとか、違和感とか人見知りとか
それでも一歩踏み出して飛び込んだときのあの細胞の興奮
ほんとうにそれはこの世界の醍醐味がつまった
貴重な瞬間だな、と。

その興奮をまた味わいたくて
あらたなことに挑戦してみたくなる
そんな気持ちにさせて貰いました。

ありがとう。



いるモノといらないモノ [エッセイ]




引越しをした。



一週間にわたるドタバタ劇の末に、なんとか引越し先に荷物を詰め込んだ。

ダンボール箱とゴミ袋の渓谷に立ち尽くし、自分が何をすればいいのか判らないでいる日々。

仕方なく足元の小さなダンボール箱を開けてみる。

中からさらに小さな小物入れが。

開けてみると洋服のボタンが一個だけ、それにセミの羽が一枚、期限切れの割引券、特別キレイでもない石ころが数個。


なんだかもう全てがどうでもよくなってしまった。

あらためて周りを見渡すと膨大な荷物。

なんだかそれら全てがどうでもいいものに思えてくる。

ビニール袋いっぱいのセミの羽。ダンボールいっぱいの割引券(すべて期限切れ)。大きな旅行かばんいっぱいの石ころ。

もうイイ!たくさんだ。生きていくのに必要なものだけでイイじゃないか!

もっと身軽に生きていこーぜ!余計なものがあると身体が重くなる。

そうさ、ポッケトに大事なものだけ詰め込んで旅に出ようぜ!イェイ!

なにがエコだ!なにが「もったいない」だ!

こんなに無駄なものばかり抱え込んで引越しするほうがよっぽどCO2を排出するわ!

本もいらん!どうせ他人の人生だろ。捨ててしまえ!

ん?あ、待って!それ捨てないで。谷口ジロー著「孤独のグルメ」は名作だから、うん。

ちょっと、ちょっと!その雑誌は貴重だから残しといて。デビュー当時の宮沢りえのファッション写真が載ってるから、それ。

え?そのネジは、、、、、、何かに使えるかもしれないから、一応。


あ、それ置いといて。あとでチェックするから。



、、、、、、、、しっかし、あらためて読んでもオモロイなー、「火の鳥 宇宙編」手塚治虫著。


人生の大切なことが、ココにあるね、、、、、うん。




おくる言葉 [エッセイ]




ありがとう。
ありがとう。



まるで戦艦ヤマトのブリッジのようなデカイ窓と部屋の形に「ありがとう。」

遠くの神社の樹々が見渡せる窓からの眺めに「ありがとう。」

エレベーター無しの五階までの階段に「ありがとう。」

四角く切り取られた様に空が見える大きな箱庭のようなベランダに「ありがとう。」

そのベランダのたくさんの植木と大量のダンゴ虫に「ありがとう。」


夏は植物園のように暑く部屋の中で日焼けしましたね。

冬は部屋の中で息が白くて季節を肌で感じれました。

子供用プールにお湯を張りベランダで露天風呂を楽しみました。

仲間達とベランダで飲み明かしたこともありました。



この部屋で子供を授かり

白黒のネコが迷い込み

家族がふえました。


ありがとう。
本当にありがとう。


この部屋を出ても
ここでの時間は消えません。



本当に本当にありがとう。









マグロと見る夢 [マグロと見る夢]



入り組んだ迷路のような路地を、足元の水たまりと牛の糞に気をつけながら歩いていく。


細い路地の両サイドは、民家と小さな商店、それに巡礼者のための宿が入り混じり
こんな狭い通りにもかかわらず多くの人々が行き来して喧噪と活気にあふれている。
通りの建物の多くは扉がなく入口から薄暗い部屋の中の様子がよく見えるのだが
ふと右手を見ると、そこに不思議なモノがいた。

目の前のその建物の入口のすぐ脇に、裸の小人が立っているのだ。
両手を上と下に突き出しアイラインを描かれたように目を見開いて、こちらを見ている。
が、よく見るとそれは人形であった。ちょうど理科室の人体解剖人形のような。
そしてその部屋の奥には特殊な形の椅子が二つ並んでいる。
椅子の正面は鏡張りになっており、鏡の上には額縁におさめられた何者かの肖像写真が飾られていた。
写真の人物は口に立派なヒゲをたくわえ、胸に付いた幾つもの勲章を見ろとばかりに胸を張っていた。
ここはいったい何の店なのだろうか?

ふと何者かの視線を背中に感じて振り返った。

道向かいの建物の部屋の中から二人の男がこちらを見ていた。
向かい合わせに並べられた机の前に二人は座っており、机の上には一台ずつテレビが置いてある。
彼らの手元には細かな部品の様なモノと工具とおぼしきものが散乱しており
どちらのテレビのブラウン管も砂嵐のようなノイズが映し出されていた。
彼らは瞬きひとつせず、全く表情を変えることなく僕の方を見つめている。身体も微動だにしない。
もしかして彼らは何か重要な回路の故障により、ずいぶん前からずっとこのままの状態なのではないか?
机を挟んで鏡合わせのように座る二人は、シンメトリーのだまし絵のように見える。

薄暗い部屋の中、二つのテレビのブラウン管だけが音もなく浮かび上がる。
画面の砂嵐がうねり、右から左にと流れ始めたと思うと、また身悶えするようにうねりだす。
静止してしまった時間の中で、それは四角いフレームに閉じ込められた発光する無数の蛇のようだった。


叫び声で我に返った。

路地の先から歓声の様なものが聞こえる。
それは徐々に大きくなり、こちらへと近づいてくる。
叫び声に聞こえたそれが、なにかの掛け声のように聞こえてきた。
独特なリズムの掛け声は、複数の男達の掛け合いによってなっているようだ。
弓なりに曲がっている路地の向こうから姿が見えたと思った途端に
彼らはものすごいスピードでこちらに駆けてきた。
神輿の様に二本の棒を四人の男が担ぎ、腰巻きだけを身につけた半裸の男達が
ものすごい勢いで走ってくる。
目は血走り何かに取り憑かれた様な表情で、男達は何かを叫んでいた。
神輿の様に担がれたその二本の棒の上に、金色の布に巻かれた細長い物体が載せられている。

それが何なのか知っている。
死体だ。人の。

毎日毎日この街では幾つもの死体がこうして運ばれている。

どこに?
河に。

河に面した火葬場に運ばれたそれは
丸太で組まれた台にのせられ火が放たれる。

燃えたら灰になる。
灰は掃き落とされる。
河に流される。


毎日毎日、何百年、何千年と続けられてきたのだ。


ここは聖地「バラナシ」。
ベナレスとも呼ばれるここはインドの聖地の中でも特別な場所。
インド人の多くがこの地を訪れることを望み、この地に流れる河に身体を浸し祈ることを夢見る。
その名は母なる河「ガンジス」。
源流をヒマラヤにもつこの河は、彼らにとっては神と同じ信仰の対象でもある。
ヒマラヤの山々、チベットのカイラス山が男性性を司るリンガ(男根)であるのに対して
このガンジス河は女性性や母性の意味をもつ女性器で表されたりする。

そのガンジス河に面したこの街は特別な聖地とされ
河沿いには寺院と商店や屋台、巡礼者のための宿が建ち並び
毎日多くの人で賑わっている。
経済的な余裕のあるものは家族を伴い詣でにやってくる。
さらに富める者や死期を悟った老人達は、この地に部屋を持つ。
「死を待つ家」と呼ばれるそこで、ひたすら死が訪れるのを待ち続ける。
物乞い達は命を賭して旅をして、ここで物乞いをしながら死を待つのだ。



僕がこの街に滞在して一週間が過ぎようとしていた。


毎朝、日の出の時間に起きてはガンジス河に向かう。
街の細長い路地はいたる所で河へとつながり
ガート(沐浴場)と呼ばれる石段に出る。
まるで古代のコロシアムの客席の様に見えるそこに腰を下ろし
河に祈りを捧げ沐浴をしている人々を眺める。
ふと横を見ると、二人の小さな子供を伴った家族づれが立っていた。
今さっき列車でこの街に着いたのだろう、彼らの傍らにはトランクが置いてあった。
宿に行くのも待ちきれず、ここに来てしまったのだろう。
河に向かい、手を合わせる両親は祈りながら涙を流していた。
その脇で子供達も両親の様子を伺い見ながら、目をつむって手を合わせている。


全ての罪を洗い流してくれるというその河にインド中から人々が集まり
彼らは一心不乱に祈る。祈る。祈る。


神聖であるはずのその河で子供達は笑い声とともに泳ぎ、その傍らをウンコが流れる。
貧しさゆえに火葬することが出来なかった死体も流れる。
岸辺で女達が食器と衣類を洗う。洗う。
ガートのチャイ屋はその河の水を汲んで、茶を沸かす。

全てを呑み込み河は流れる。
流れる。
流れる。


ある時、食堂で隣り合わせたインド人がこんなことを言っていた。

「私たちにとって ”どのように死ぬか” はあまり問題ではありません。
 私たちにとって ”どこで死ぬか” はとても重要です。
 ここ、ベナレスのガンガーで死ねることは、最高の幸せなのです。
 なぜなら私たちは生まれ変わりを信じています。
 この地で死ぬことは素晴らしい来世が約束されるのです。」


ガートで人々の姿を眺め、日差しが強くなり始める頃腰を上げ
遅い朝食を近くの食堂でとる。

屋台のチャイを飲み(さすがに岸辺のチャイは飲まずにいた)
宿に戻りうたた寝をする。

昼過ぎに起きだして火葬場に向かう。
川辺のガートの一角が焼き場として占められ、何本もの煙が狼煙のように上がっている。
次々に運ばれ、焼かれ、河に流される様子を少し離れた場所から眺める。
人の形をしたそれが、きれいさっぱり灰になっていく過程を
じーっと見る。
何体目か判らなくなる頃に火葬場を離れ、街を歩きだす。

迷路の様な路地を自ら迷う様に歩き回る。
気がつくとまた河に出てしまう。
河を眺め、また路地に戻り歩く。

夕暮れ時、ガンジスに沈む夕日に多くの巡礼者が祈りを捧げている。
その人々にまぎれて、太陽の最期を見届ける。

夜になってガートはさらに盛り上がる。
多くの祈りの声と独特の音楽が入り交じり
日本の精霊流しのように、人々は献花とロウソクの載った燈籠を河に流す。
まるで祭りのような賑わいが毎夜毎夜、行われる。

熱病のようにボーっとした頭で、夢遊病者さながらに夜の路地をさまよい歩く。

空腹を思い出し遅い晩飯を食堂でとる。

宿に戻りベットの上で、浮かんでは消える様々な光景と感情の波に
身を任せながら境の判らぬ眠りに沈む。



そんな日々をもう一週間も繰り返していたのだった。




(つづく)

ファッション写真 [写真]



img099.jpg


デニムonデニム。

難しい着こなしを個性的な帽子と
足もとの崩しで見事にモノにしています。

おしゃれ上級者さんならではの着こなしに、技アリだよ。(オリーブ風)

膀胱炎 [エッセイ]



膀胱炎になってしまいました。


IMG_1771.jpg


血尿が出てしまい
薬飲んで、食事療法中です。


IMG_1757.jpg


ん?
あ、猫の話です。

合気講座 [エッセイ]



学生の頃から始めた合気道がもう18年も続いている。


写真とともに僕の人生にとって大事な柱になっている。
8年前からお世話になっている今の道場で(さいとう道場
自分のクラスを持って教える様になって3、4年になる。

教えていると言っているが、それ以上に自分が教わることや勉強になることがすごく多い。
いまの道場の先生曰く
「人に何かを教えていると思ってはダメ。相手が何かを気づき、感動して何を持ち帰ったかが重要」
ゆえに「指導者は教師ではなく師範たれ。師範とは自らの行動を持って範となる」のだそうだ。

不思議なもので、この言葉通り「自分が教えるのだ」と思って人に対していると
ものすごく、しんどいし疲れる。さらに自分を大きく見せようと思ったり自分の考えに執着したりしてしまう。
それどころか気がつくと、いつからか自分の成長がピタリと止まっていることに愕然とする。

それに対して相手に「楽しんで欲しい」「上手くなって欲しい」と思ってやると、どんな疲れている時でも
不思議と力が満ちてくる。しかも楽しんでもらいたいなら、自分が楽しんでいるさまを見せれば良いし
上手くなってもらいたいなら自分が向上し続ければよいのだ。
なんとも当たり前な話しなのだが、人に指導するということで、それを身を以て実感させられる。


「流れにのる」というのは世界を大小様々なエネルギーの流れとして見ることが大切だ。
人との関わり方をエネルギーとしてみると、いかに相手からエネルギーを奪おうとしている行為が
多いかということに気がつく。
教えているつもりで、実は自分の知識や力を誇示して相手からエネルギーを取ろうとしていたりするのだ。

自分のところでエネルギーを独り占めしようとせき止めると、流れから分断されて離れて行く。
川の流れもせき止めようとすると、流れは新たな流れを見いだし、そこに僅かな池を残して離れて行く。

社会という流れの中で、知識やお金もエネルギーである。
しかしそれらを創りだしているおおもとは人間の意識エネルギーなのだ

目に見えないけど、感じることは出来る。



「自分」と思っているこの筒の中を
出来るだけ多くのエネルギーが流れ込む様にと願うなら
出来るだけまわりのモノすべてが流れ良くある様にと願い行動せよ

これぞ極意なり!!

(民明書房「氣―その効用と実践」より抜粋   by 魁!!男塾 )

つづきのねこ [エッセイ]




父が一人で住む実家に、猫がいた。


まだ、家族6人がその家に住んでいた時代から生きていた猫だ。
猫の20年は人間にすれば100歳くらいだろうか。灰色の縞の柄をキジトラと呼ぶらしい。

高齢によりボケはじめており、ご飯をいくら食べても、またくれー、と要求する。
けれども歳のせいか栄養吸収が出来ず痩せており、ふらふらと酔っ払った様に千鳥足で歩くのだ。

鳴き叫びながら外に出ていき、そのまま帰ってこないことが2、3回あり
その度に町内に張り紙をして回り、夜な夜な懐中電灯を片手に探しまわった。

そしてその度に生還するのだ。
ある時は遠くはなれた埋め立て地の動物保護センターなる施設で
殺処分の数日前に駆けつけたこともあった。

なぜか近所の住人に人気があり、僕も知らないような人にまで声をかけられ猫の心配をされる。
僕の知らない所で自分の家の猫がどんな生活をしていたのか、知るよしもないのだが。

ある日を境にご飯を食べなくなり、横になって眠り続ける様になった。
スポイトで水を飲ませながら、父とその時が近いことを話していた。
翌日仕事に出てしまう父と入れ替わりで見に来ることを約束し、実家を後にしようとした時
眠り続けていた猫が、急に立ち上がった。
生まれたての子鹿の様に、ぷるぷる震えながら声にならない鳴き声をだした、様に見えた。

翌朝、夜のうちに降り出した雪が強くなり、ずいぶん降り積もっていた。
電車も動いているのかどうか判らず、ぐずぐずしていたら時間が過ぎてしまい
結局タクシーに乗って実家に着いたのが昼前くらいであった。

父はもう出かけてしまったらしく、玄関には鍵がかかっていた。
鍵を開け玄関に入った瞬間に、なんだか不思議と判ってしまった。
階段を上がり廊下を歩きリビングに入ってみると、猫は同じ場所で寝ていた。
触ると暖かく身体も柔らかかった。
一つだけ昨晩と違うのは息をしてないということ。


それから数ヶ月、ずっと後悔の言葉を繰り返していた。


あるとき一冊の本に出会った。
その本にはこう書いてあった。

「こころの底につながっていた だいじなねこをなくしたきみに そんなにもはげしくまたと
もとめるならば戻ってくるよ  なぜといって、わたしのねこも やっぱりちゃんと返ってきたから

ちいさなものたちが返ってくるのは あの時ああしなければ、などと どうしても繰りごとをいう
私たちを見かね、ゆるしてくれようとするのじゃないか」


半年ほどたったある日、マンションの5階(エレベーター無し)に住む僕と嫁さんの部屋の
玄関の外から猫の鳴き声が聞こえた。
空耳だろうと言いながらも嫁さんが玄関を開けてみると
産まれて間もない子猫が一匹
ちょこんと座っていた。

猫のくせに人の目をジーとそらさずに見るところがそっくりだ。
そうか、つづき。



ありがとう。







「つづきのねこ」  吉田稔美 著

img001.jpg

雨について [エッセイ]




ここ数日、雨降りな日々。

週末まで雨が続くらしい。

うれしい。

子供の頃から雨が好き。

気持ちがいい。せいせいする。静かな心持ちになれる、気がする。

毎日、雨でもいい。

ずっと雨が降り続ける街に住んでいる。

そんな妄想でウットリとしていた。暗い少年。

太古の地球は数千年雨が降り続けていたらしい。

そうだったか、やっぱりね。なんだかうれしい。

図鑑を見ながら暗い少年は一人うなずく。

しかし、よく読むとその雨はものすごい豪雨のうえに数百度の熱湯。

さらに酸性雨、だと。

それじゃない、そうじゃないんだ。

がっかりする暗い少年。

しずかに静かに、ざー、と降りしきる雨。

空は曇りがちだが暗くない。

やさしい優しい、そんな雨。だったはず。

マグマが冷えて出来た海辺の岩場に、傘さしてぼー、と雨を見るのだ。

暗い少年はそうして海が出来るまで雨を見ていましたとさ。



めでたしめでたし。




img028.jpg
Bali Ubud

こどもの時間 [エッセイ]



息子が8ヶ月目に突入。

ハイハイもパワーアップして、軽い障害物なら乗り越えていくようになってきた。
床に横になった僕を軽々と乗り越えて、なぜかネコのトイレ目指してまっしぐら。
目を離すとネコの砂とともに、かりんとうの様になったウンコを握りしめ「うへへっ」と笑っている。

「なんだ、お前はそんなに簡単に父を乗り越えて、欲しいモノを手に入れるのか?」

こどもの時間は早くて奔放で、暴力的なほどに大胆で
世界の感触を確かめる好奇心でいっぱいだ。

父親よ、息子にとって越えがたき壁たれ!

お目当てに向かってハイハイする息子の行く手に立ちはだかり
越えても越えても掴み上げ、もとに逆戻りさせる。
そのうち仰向けになり思う様にならない不満を、泣き声で高らかに表す。


「そうだ。これがこの世界の不条理だぞ。すべてが思う通りにはならん事を学べ!」


泣きながらゴロゴロと寝返りを繰り返すうち、近くに転がっていた紙くずを掴みあげると
あっと言う間に泣き止み、真剣な眼差しで紙くずを吟味し始める。


「ほう、なるほど。こだわらない事は大切だね。勉強になります。」


こどもの時間は非日常的で
大人が考える人間の概念に囲われることのない別の世界で
流れているようだ。
そこで彼らは自由に遊ぶのだ。
すばやく、奔放に、暴力的に、大胆に

そしてはち切れるほどのエネルギーを放電させて。



img094s.jpg
Vietnam. Ho Chi Minh


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。